つづく

新しい月は
自分から発光するようになる、光
そして
水面

混沌としての闇「あちら側の」

神というもの

ヘブライ、その言葉

神には過去も未来もない

もしくは
「時」は過去も未来も「ない」ものとして「ある」

 

星座が変わる
新しい、星と星座
ヴィジョンとしては
固定を知らない、流れる水
未来は「変わる」ということ

relaxmaxの言葉
「未来は変わる」

流れる水
その水面の「言葉」としての光

自然を歪めるものが「消える」
残虐者たちはいらない地球

 

「そして、祝福を待つ」/混沌は「在る」ということ

地上と呼ばれるものを
呼び、「起こす」

地球はすでに
死んで

最初から死んでいて

本当の地球は遠い昔に死んだ

空にゾウが戻るまで
星たちは
子守唄を
人たちに歌う

空に
ゾウが戻った後のお話し

水の中に「天空の鏡」としての空が

その鏡を覗き込む巨人

巨人の目には
ゾウが映る

真ん中に落ちた街

まだ
あの街は落ちて来ない

光は光として

 

星となった鳥はゾウを呼ぶ

新たな星座は
言葉を呼ぶ
relaxmaxを呼ぶ
relaxmaxに語りかける

「永遠に救われる地球、楽園の地球の物語を書く、relaxmaxよ」

 

地には
星が降りて生き物の新しい「影」が


そして、、、
人と鳥、仲のよい犬たち
小鳥のさえずり

「朝だ!」

これが朝というものだ!
何度も
涙しながら
「やっと朝が来た」
と「朝日」を見る人たちもいる

それと同時に
闇の中に
夜が
夜の中に夜の海が

 


覚える、直す、本物の名前たちに
まことが宿る、言霊の「本来の意味」
神さまたちの言葉に「戻す」新しいアダム

別の地球のお話
「名前をつける」
こだまする
言霊、、、
霊が宿る水
水面に「反射」する光
光とともに言葉が

「あの地球に!」


動く「水」
神の霊
言葉
、、、そして「カタチと光」

「新たに星を造る」relaxmax
そうして、星座が変わる
新しい、星と星座
未来がわかるもの

海の誕生日の前の
記憶の夢


名前がこだまする

 

バベルとrelaxmaxに降ろす
「あの街の意思」

人の心の灯が照らす、あの街


海の記憶を「思い出す」こと
創世記、、、別の地球の!

夢の中に現れる
預言者

そして告げるものが見る
水面

みなもには「人影」

それは
チベットの僧たちも
かつて聴いた「みた夢」

 

言葉という水面
それに現れる「聖なる存在」

神は神
言葉は言葉
そして、人は人


重なる時間

重力の話は「聴いた」(書いた)後、すっかり忘れて、また思い出すrelaxmax

書く、ということ
本当のこと
潰れる残虐者たちの「脳」

(もうすでに聴いたこと)

神の言葉、予言
それを水面に見る「お話」
聖書、そして翻訳

神の霊が水の面を動いていたのを
「聴いた」僧侶たちの
「次の夢、預言」

「そして祝福を待つ」

relaxmaxも新たに「また星を造る」
天文学者の夢


過去と未来が
分けられているわけではない言葉たち
旧約聖書

続く言葉
続き つづける 魔法

つづく、
ということ

 

 

 

relaxmaxは眠る ゾウは眠る 神と光

 


完全に舞っているもの

諸所の面
その諸所の水

そして神は言う

神々は
それが在るように言う
光が

「ここ」に

光が「見る」
人を見る

直す光
relaxmaxを治す光

神々は見つめ続ける
その光
そしてrelaxmaxを

過去からの癒しの
光と言葉

神々はそれを見る
彼はそれを見る

エロヒーム
אלהים

夜を呼ぶ
海を呼ぶ
夜の闇から
海を産む

神々たちの「知恵」

水の中に「天空の鏡」としての空が

その鏡を覗き込む巨人

巨人の目には
ゾウが映る

真ん中に落ちた街

まだ
あの街は落ちて来ない

光は光として
ただあるもの

分けるものは
人の心の闇

その闇を愛すること

闇の中に夜が
夜の中に夜の海が

夜の海の中に混沌が

原初の混沌

その混乱を愛す

relaxmaxは眠る
ゾウは眠る

星は
遠くの(そして少し先のストーリーの中の)
あの話をささやき初める

空の下に
さらに空

その下に地球の「中」

その内側から
空を見ると
もちろん 別の宇宙

その宇宙から
こちらを見る
ゾウの「目」

ゾウたちは見張り台と
監視人の魂を癒して遊ぶ

 

夕暮れの星
明けの明星

「時間」をここに

 

思い出すこと「あの空」
あの「色」
いつかみた、あの地球

 

その地球から「見た空の青」
記憶

単なる小説 満月83-2 水は真理であり永遠 「2」

 

それを癒すrelaxmax


水は真理であり永遠
子らの魚 骨
曲げる捻じ曲がった残虐者たちの崩壊


水を戻す神

海の癒し
relaxmaxの体内を癒す神
彼女の海、彼女の安全
relaxmaxが安全であるということ
身体の水、その海

 

水に還る人
海に還る魚たち
戻る水を癒すrelaxmax

 

帰る場所を知る「血」

本能
賢い魚たち
時には、ヒトよりも

犬たち
賢き犬たち、時にはヒトよりも

 

胎内には海の心臓音が
そして
音には 過去の響きが

 

海に還る、人
帰る場所のない
海のない人

 

そのrelaxmaxを癒す
そして海が戻る
海の安全が戻る
その癒しとスピード


今日という「いちにち」は
創造の羽根

 

海の記憶
よりどころの「水」
そして永遠の光をすでに見たrelaxmax
そしてその「本物の光」を覚えているものたち

 

海が癒される創造主の「手」relaxmaxの書き「手」

今、起こっている「ここ」のこと

 

言葉による「預言」は
すでに神に書かれている

 

掌に
手のなかの「種」

窓に見える未来

 

没頭し
門をくぐる

 

より、呼吸する「窓」

 

その夜明け
そして片鱗
いつでもある「片隅、はしっこ」

 

シッポを捕まえる
ほうき星のミラージュ

 

奇跡の中にある
軌跡

 

traceできない
流れの「中」
風ということ

 

流れ
そして「ある」
すでに「ある」
そこに、すでに「いる」
「そこにいる」ということ

 

風の祈り
風は、吹く
蜃気楼の街

 

主たち

 

豊かに歩くラクダたち

 

違う宗教の虚偽が
分けることを
別のなにかに変えた 

豊かさなのに

裁きはすでに書かれている
キリスト教という「宗教そのものが生まれながらに持っている罪、原罪」

 

回復する「脳」
魔法を学ぶ「杖そのもの」

 

使い「手」は
いつもrelaxmaxだけ

 

一つの「手」というもの

 

そもそも
言葉が「強い」と知っているものたち

 

主のさばきは
真実で
ことごとく正しい

 

神とともに住まう「家」

安全な人生の「柵」
花嫁を守る「剣」
剣に護られる花嫁

捧げられた剣は
魔王尊に出会う

 

知識を
守る剣で使うrelaxmax
見る「目」
そして 脳と「手」

 

権威とすでにあるrelaxmax
独立して 自立して「ある」扉

 

神聖なる
完成した扉

 

元々完成しているrelaxmax

 

ラクダはすでにやってきて
あの国を降ろす

支える体と
選び終わった 柱

 

印をのこす人
知識の結婚
花嫁の踊り

 

還る人
恵み

 

完成、終わり

 

 


分けたのは人 豊かであり、そうでない人
本来の意味を
破壊しながら奪う残虐者たちが
隠した破壊した変えた
言葉たち

 

どうして
嘘を必要とする残虐な人が満ちてしまい
「火」が、、、戦争

「ヤー」
神聖四文字(יהוה)の略
「主」、神

「ヤー」(יָהּ)が抜け落ち
「エーシュ」(אֵשׁ)
「火」を意味することばが残る

神なき火

 

単なる小説 満月83 水は真理であり永遠

 

それを癒すrelaxmax


水は真理であり永遠
子らの魚 骨
曲げる捻じ曲がった残虐者たちの崩壊

言葉による「預言」は
すでに神に書かれている

 

掌に
手のなかの「種」

窓に見える未来

主たち

豊かに歩くラクダたち

違う宗教の虚偽が
分けることを
別のなにかに変えた

豊かさなのに

裁きはすでに書かれている
キリスト教という「宗教そのものが生まれながらに持っている罪、原罪」

回復する「脳」
魔法を学ぶ「杖そのもの」

使い「手」は
いつもrelaxmaxだけ

一つの「手」というもの

そもそも
言葉が「強い」と知っているものたち

主のさばきは
真実で
ことごとく正しい

神とともに住まう「家」

安全な人生の「柵」
花嫁を守る「剣」
剣に護られる花嫁

捧げられた剣は
魔王尊に出会う

知識を
守る剣で使うrelaxmax
見る「目」
そして 脳と「手」

権威とすでにあるrelaxmax
独立して 自立して「ある」扉

神聖なる
完成した扉

元々完成しているrelaxmax

ラクダはすでにやってきて
あの国を降ろす

支える体と
選び終わった 柱

印をのこす人
知識の結婚
花嫁の踊り

還る人
恵み

完成、終わり


どうして
嘘を必要とする残虐な人が満ちてしまい
「火」が、、、戦争

「ヤー」
神聖四文字(יהוה)の略
「主」、神

「ヤー」(יָהּ)が抜け落ち
「エーシュ」(אֵשׁ)
「火」を意味することばが残る

神なき火

 

単なる小説 満月82 言葉と「約束」

創世記【新改訳改訂第3版】

15:5 そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」


言う=命じる そのように誘う
言う=約束

そのように言われた「神」
すでに地に満ちた人

 

神の言葉
約束

命ずるというより
命を吹き込むその「言葉」の言魂

 

魂「ある」
spritが自然に「ある」
「そのまま」の状態を壊す

「満ちすぎた残虐者たち」を「キリスト教の虚偽」に「見る」relaxmax


創世記15章5節
「仰せられた」
「言われた」と訳された動詞は
アーマルאָמַר(’amar)

 

最初のアーマル
単に「言葉や声を発する」ということだけでなく「命じる」といった意味

二番目のアーマルは「約束する


「答える」
「宣言する」( to declare)
(to mention)
「考える」(to think)

 

アーマルאָמַר(’amar)
旧約聖書
5,316回
「言う」(to say)という意味

 

単なる小説 満月81 言葉と「時」 ヘブライというもの

 

ヘブライの「時制」概念はかなり自由

ヘブライの時制は完了形と未完了形

 

未完了形で
あらわす
未来の行為

過去の行為

神の現れる言葉
ヘブライに書いてあること
その「本物の聖書」

 

(どうしてキリスト教の「日本に伝わるまじめな」牧師たちは 新約聖書はギリシア語しかない と思っている人たちもいるのか?


そのぐらいヘブライの新約聖書が「ある」ということを知らないキリスト教の日本の牧師たちがいるのはどうしてだろう?


ギリシア語 写本しかない?どうしてだったんだろう? 本物の「本」はどこに?)

 

マタイは
イギリスとカイザリヤ
「図書館」にヘブライ!(全部で28?)

 

ヘブライのマタイを

ギリシア語に翻訳したのはヒエロニムス

 

本当のこと!
(そして知らないままの人
おそらく真面目に聖書を学ぶ人たち
ヘブライの存在)

 

神が主語となる場合には
過去と未来が
厳密に分けられることがない

 

神というもの

ヘブライ
その言葉

神には過去も未来もない

もしくは
「時」は過去も未来も「ない」ものとして「ある」


あの第七天で
「見た」 神さま
光と「時」

時を止める男、ライシン
そしてrelaxmaxが見て「書く」ということ

 

なぜなら、神は常に働いておられる

 

「今」このときも

言葉は
ずっと「続く」もの!

本来のパワー
それをヘブライで味わうということ!


(すべての人が
実は
電脳空間辞書(サイバースペース!)で
「どこでも」できるようになった
「現代」というもの!)

 

過去に行われたことは未来においても現実

 

現実には過去も未来もすでに「完了」して「今」ある
そういうパワーを持つ「ヘブライ」という言語!

 

言葉のパワーを知るもの!
relaxmax

 

そして、「個人」の中でおこる十字架破壊

 

未完了形の動詞が過去の行為を表わすと同時に未来の行為をも表わすことができる

 

完了していない
「続く」過去
そして
未来の「おこらなくていい罪」
キリスト教自体がもつ「宗教としての原罪を癒す」relaxmax

 

完了形の動詞
まだおこっていない神の行為

それを、、、おこらないようにしたのが「キリスト教の虚偽」

relaxmaxが見た「なにか」

 

神が確実に実現されること

すでに書かれている
「十字架破壊」

 

79-6 古事記と日本書紀、そして「外」からくるもの 宗教と宇宙観 「言葉に現れるもの」

 

文化や宗教
「外」

シルクロードを
そして海を超えて伝わるもの

日本という島国に

 

歴史の「日本史の教科書」で習った「なにか」

と、、、

そこには書いてない「なにか」

言葉に現れているもの

シヴァ派では、「世界の始まりのカオスの中、ヴィシュヌ神とブラフマー神のどちらが先に生まれたのかを言い合っているところ、巨大なリンガ(シヴァ神のシンボル)の中からシヴァ神が現れて、ヴィシュヌ神もブラフマー神もシヴァ神が創造したのだと明かす」という神話

道教の『太上妙始経』では、万物の根源を「道(太初・混沌・大極とも)」とし、道が集まったものが気であり、清らかなものが「天」となり、濁ったものが「地」となり、色々な天地の気が合わさり、人や虫や草木が生まれたと記述されている


日本書記は「こっち」かも!
清らかなものが「天」
そして
濁ったものが「大地」に?

「外」からのなにか
海外 海の「外」
の文化や「宗教」の物語!

日本書紀の
言葉の「一部」に書物としてあらわれているもの!

道教の「宇宙観」
それが日本の「一部」に
言葉として書物として現れる

 


「大陸的な者の考え方」と本居宣長が言うのは「道教」とかこのあたりもあるのかも!


本文によれば、太古、天地は分かれておらず、互いに混ざり合って混沌としていた

あれ?
そういう
宗教というか
宇宙観は
「どこ」だった?

、、、ヒンドゥ?

日本書紀
古事記と

「外」からきた宗教
そして
元々ある神道の「神話」!

宗教と宇宙観
日本という島国と
海、そして海の「外」

外から伝来するものが
書物として 言葉として現れて「残る」

それを
古事記の注釈を書いた
本居宣長の「言葉」にも現れていると見るrelaxmax

言葉という意味のヘブライを知るものでないと「あの言葉」を日本語で書くことは、、、

言葉という意味のヘブライ!
元のかたちに戻す翻訳

あの言葉(ヘブライ)の
1:1が書いてある
古事記、というもの

(本居宣長は ヘブライの言葉 その意味を知る人ではないか?

日本でヘブライの聖書を読んでいた人が
聖徳太子 厩戸皇子の時代の遣唐使 そして遣隋使の頃に 
シルクロードを通して伝わっていた「ヘブライの聖書! ヨハネ!」 

を読んでが書いた「古事記」!!!

そう思うrelaxmaxであった)

 

79-5 「もののあはれ」の発見

人間と
人間の住むこの現世

意味

 

「もののあはれをしる」心そのものに宣長は美を見出したという

 

本居宣長は人生いかに生きるべきかを問う「道」の学問、その「道」の中心には「もののあはれを知る」ということがあった、と言う小林秀雄

 

本居宣長『源氏物語玉の小櫛』
「『あはれ』といふは、もと見るもの聞くもの触るる事に心の感じて出づる嘆息(なげき)の声にて、今の俗言(よのことば)にも、『ああ』といひ、『はれ』といふ、これなり」

それまでの注釈を批判的に取捨し、一語一句について精確に読解し、自説を詳細に述べ、人情に感ずべき「もののあはれ」を強調して論じている

 

あの翻訳ぽいな!
百年の孤独 
日本語翻訳 by relaxmax

No tenìan una segunda oportunidad sobre la tierra la ciudad de los espejos (o espejis …relaxmaxontheroad.com

 

本居宣長は
「元のカタチに戻す」翻訳の本来の意味に近い考え方で「注釈書」を書くような
「本来の意味」が見える人!

 

もののあはれと源氏物語
源氏物語は
鞍馬も舞台ではないかと言われている
鞍馬のお山で修行した牛若丸はシリア語

 

もののあわれ
とは
人の心を映すもの
と思うrelaxmax!


鞍馬のお山の自然に
もののあはれ
を見て写真に撮っていたんだ、、、
と本居宣長の言葉を読んで「改めて知る」relaxmax

 

鞍馬のお山
あの満月
ウエサク
その夜に書き始めたストーリー
「単なる小説 満月」

「満月」

 

「飽かずのみ 都にて見し 影よりも 旅こそ月は あはれなりけれ」西行

 

日本だからこそ見える
ヘブライ
そしてヘブライの聖書があると思うrelaxmax

それを読んでみたい!
本居宣長のように!
あの言葉のように!

もし!
ヘブライの
ヨハネの1:1があるのなら!

 

都で見る月は「まるで影」のように
「まこと」の月は
「旅先」で見るものと彼は「知る」

 

そして
それを知っているな、
あの旅先の、、、
「ほんとうの世界」!

まことが「ここ」にある「状態」
on the road
relaxmax on the road の「写真」

 

それをハッカーたちはアタックしまくる
偽を欲する犯罪者たちは
もしかして、、、「許されたい罪」が「元々」キリスト教、「宗教自体の生まれにあった原罪」が「ある」ものたちなのでは?と思うrelaxmax

 

 

罪があるから
必要とされた「贖罪」
それまでの聖書になかったストーリーを
付け加える「人」が必要とした
キリスト教の「贖罪」と十字架破壊

 

日本の「道」を言う、本居宣長
そして「彼の言葉」
ヘブライの「言葉」

 

「元の言葉の意味 ヘブライの意味を」
「まるで」!
「知っている」
かのような、、、

本居宣長の「言葉」!

 

「意と事と言 とはみな相称へる物」(宜長)

 

この本居宣長の言葉に
ヨハネ1:1
ヘブライの「言葉」の意味を見るrelaxmax


「人の作る道でもなく、高御産巣日神の御霊によって、世の中のあらゆる事物が成っている」とした本居宣長

道とは、「天照大神」の道

太陽の神様!
天照大神

彼のいう、、、

「神の道」
relaxmaxは自然の中に見たことがあると思う!

あの道!
光の道!

神道!
富士山
霊峰
それをのぞむ「鳥居」としての岩!

あの「夏至の道」

レイラインとサンライズ
朝日が登る「道」


そして
お伊勢さんに参拝

禊をする「場所」
海!


ふたみおきたまじんじゃ
二見興玉神社

神道の「無限抱擁性」

それはあるのかも
混沌から生まれる世界?
それとも
神様が産むの?

「外」の「文献」
言語として ヘブライ的な本居宣長のあの言葉「古事記の注釈」!

聖書、、、ヘブライで読んだことあったのかな?本居宣長!

 

「もの」は古くは神異なもの,あるいは霊的存在をさす語

「あはれ」は 一般的には「趣きがある」など古典を学ぶと出てくる言葉、日本の平安時代の文学において

移ろいやすいものへの感受性

 

「日本的な美意識」の反映された「言葉」
日本の「自然のうつろいやすさ」「儚さ」「幽玄」をあらわす「日本語」でもあると思うrelaxmax

 

もののあわれ
自然を見て「感じる」霊的な「なにか」
自然のなかに神様を見るrelaxmaxの写真

 

79-4 キリスト教的ロゴス ギリシア哲学的キリスト教徒の読む「聖書」、そして日本語に「ある」ヘブライのヨハネ1:1聖書的な「言葉」

19:15 この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。

15節は、「ことば」(ロゴス)を解明する一つの手がかりです。「この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。」つまり神の「ことば」であるキリストは、口からみことばの剣を出す、支配者、世界の裁判官なのです

口から
「肉」 言葉

かも!

肉体としての
「書いてある言葉」!

ロゴスを?
ギリシア哲学的な
三位一体のキリスト教を
理解しようとすると
「支配」?

 

ヨハネの福音書 1:1
(パピルス写本 2世紀 虚偽も含まれた 付け加えられた イエス 磔刑 贖罪のストーリー!)

ギリシャ哲学が探求していたその「初め」

キリストであるという答え

、、、
とは
実は私思わなかったのは

キリスト教徒ではなく
聖書読む日本人だからかな?
(英語 もしくは もしくは 日本語 または ギリシア語で!)

キリストと「翻訳」されたJesusって思って読んだ?「英語の」「学者」!

ギリシャ哲学の教科書を見るとわかるのですが、ギリシャ哲学は、「初め」(アルケー)が何なのかを探求する営みからはじまりました

ギリシア語で書かれた写本しかないの?

ヨハネ!
1:1
はじめの言葉が

そのギリシア哲学ぽい言葉!

Logos

https://suzume.love/?pid=156274608

新約聖書の原語であるギリシャ語と日本語を照らし合わせて聖書研究ができる画期的な聖書、があるらしい

こういうのの「ヘブライ」!
どうしてないの?

「ヘブライ」見つけてないの?
あの3つはヘブライあるのに!
共観福音書の一つ、ヨハネの1:1

厩戸の皇子 という「名前」
(キリストを思い出す人はいると思う、彼の名前!)

ヘブライの聖書
「ある」っぽいけど!

本居宣長の言葉に
出ている

そして
アラム語が古代日本に「入っている」という事実にも出ている!

ヘブライの「存在」
厩戸の皇子、四天王寺!大阪!!
そして政治家の聖徳太子の「時代」
聖書はシルクロードで「日本の歴史の授業で習うあの時代」より「先」に!
日本に伝わっていたのでは?


ヨハネは
イスラエル出身だった
そこの「言語」で書いたヨハネ1:1 新約聖書はどこに?

アラム語で話すイエス
アラム語を「聞く」ヨハネ

それを「ギリシア語で話す場所」で
元の言語「ヘブライで読んでいた旧約聖書!創世記」を読んで書いた新約聖書ヨハネ1:1は、、、ヘブライで旧約聖書読んで「ヘブライで新約聖書書くヨハネ」だったのでは?

 

写本、、、パピルス2世紀の「虚偽」
ムハンマドさんが読んでいたシリア語聖書との違い!

十字架破壊の「意味」
言葉を元のカタチに戻す「翻訳」
元の言語 ヘブライの聖書をそれぞれの言語で「自分で理解」するということ!

 

79-3「意と事と言 とはみな相称へる物」(宜長) ギリシア語 とヘブライ 聖書の「翻訳」というもの

da bar ヘブライで「言葉」と「出来事」


LOGOS
ロゴス 言葉は哲学
ギリシャ語

 

LOGOSと DA BAR
の違いを


本居宣長の言葉で
考えたrelaxmax

ヘブライで「言葉」という意味
ギリシア語で「LOGOS」

2世紀の聖書
ギリシア語聖書は
「誰が書いた」?
(翻訳? 元は?

パピルス写本
125年頃の写本である
ヨハネ福音書の「一部」が、、、

125年!(2世紀!!)


エフェソスに移り住み、エフェソス教会の指導者となる。
51年? エルサレム使徒会議に出席する。
80~98年 『ヨハネの福音書』を執筆する。
90~95年 『ヨハネの書簡 1~3』を執筆する。
95~98年 パトモス島に追放され、そこで『ヨハネの黙示録』を執筆する。
98~100年 余生をエフェソスで暮らす。
100年 エフェソスで死去する。

ヨハネ!
自分で書いたの?^_^

しかもこの年表と「違う説」流刑の「後」にジョン1:1??も書いた?
どっちが「本当?」

使徒ヨハネはパトモス島の流刑から解放された、エフェソスの教会の主教(司教)を務める傍ら、ヨハネによる福音書を書いたと伝えられる(ただしこの伝承の史実性は疑問視されている)

二つ違う「説」
いつ書いたの?
ヨハネ「本人」
そして「どの言語」で?
(写本しかないらしい、新約聖書)

 


“The Word,” a translation of the Greek λόγος (logos), is widely interpreted as referring to Jesus,

これが
Jesus
なの?

 

これが
ギリシア語の「写本」として
一部が、、、
(一部ない「そこ」を「書いてしまう」人 新約聖書では、、、あったのかな? ギリシア語! もしくは英語に「翻訳」する時に! 
キングジェームスの時代の学者たちが集まって いい翻訳 英語訳の聖書を、、、)


写本しかない「らしい」と読む

(一部失われたなにか?それとも、、、「虚偽」?)
それを英語に「翻訳」!?
(もしくは 真面目に「書いた(知らずに?」ギリシア語とヘブライ)

ヘブライ
今のところみつけてないのかな? ヨハネ!


ヘブライの聖書を読んでいた街
イスラエル出身のヨハネ
ヨハネが書いた街エフェソスは古典ギリシア語の国

旧約聖書は
イスラエル時代にヘブライで読んでいて
ヨハネ「本人がヘブライ」で書いた元の本はないけど

パピルス「写本」が「ある」?
(写本だけが「ある」 ヨハネ1:1?)

新約聖書、というもの!

私の疑問
ギリシア語の「元」はないの?
写本「ギリシア語」しかない新約聖書?

(ほんとは「ある」のに「ギリシア語のみ」と思っている牧師さんがいるキリスト教徒なのはなぜだろう?)

 


虚偽の、、、とイスラムで言われる十字架 磔刑 「ない話」付け加えられた「新約聖書」は
「言語」「ギリシア語」「ギリシア哲学」そこが三位一体 多神教! ということではないか?


パピルス写本は2世紀(ギリシア語)
写本の「元」
ヨハネはギリシア哲学logosを知っていてあの言葉「1:1」を書いたのか?(三位一体! 多神教!!)


(旧約聖書はヘブライで読んだ上で(創世記をヘブライで読む、イスラエル時代のヨハネ!)そして「ヘブライで書いた新約聖書 1:1 ロゴスという言葉ではなく(その哲学!)」


そういう新約聖書が「ない」理由


見つかっていないだけでなく
「最初からギリシア語で ギリシア哲学 ロゴスを知っている人が」

「写本」として
2世紀に(つまりヨセフは 本物いないの?) その可能性は?


新約聖書はコイネーと呼ばれるギリシア語で記された(古典ギリシア語とは違う)

そして、ヘブライも共観福音書3つにはあるという

 

でも
ヨハネは
イスラエル出身
イスラエルの言語は 
話すのはアラム語、聖書用はヘブライ

そして!
エフェソス! 
ヨハネが書いた
その場所は「ギリシャ語」


ギリシア語(コイネー)で書いていた?

つまりヨハネ、ヘブライないの?

 

ヘブライで書いてた聖書、旧約聖書を読んでいたヨハネが!
「書くのはギリシア語?の新約聖書」??


生まれはヘブライの言語の街、ヨハネ

「ギリシア語」で聖書、旧約聖書はヘブライで読んだ上で!
新約聖書は「コイネーギリシア語」で自分で書いたの?

 

マルコはヘブライがあり、図書館にあるという記述や、「ギリシア語に翻訳した人」の名前も見つけたけれど、、、ヨハネのヘブライは?

 

2世紀の「虚偽」

パピルス写本を「英語に」翻訳した
キングジェームス

ヨハネ1:1
キングジェームス時代の 英語 翻訳
元はギリシア語

ギリシア語写本(一部かけてる)

その元は「ない」と書いてある

だけど!

元は発見されていないけど

ヨハネ「本人」が
ヘブライ語(アラム語)の街生まれで
聖書はヘブライで旧約聖書を読んでいて
書いたのはヘブライ?(3つはヘブライあるとの記述)

どこかに「あった?」「元」の本から
「ギリシア語の写本」???

2世紀は
虚偽多かったみたいだから

ヨハネが
イエスの十字架の「許されたかった」「罪」 ある人だったのかな?

十字架 磔刑の
2世紀までになかったストーリーを書いた

ヨハネが生きた時代の
孫の世代の「写本」?

(、、、いくつか 内容の違う記述??)


メシアつまりキリストが「力強い神」(ヘブライ語はエール ギッボール)

こういう
「ヘブライ」
はあるのか、、、

ヨハネは
ヘブライ語(聖書は! 話すのはアラム語らしい)の街出身で

エフェソス(ギリシア語の街)で
「どっちの言語で書いた?」
「自分でギリシア語でもヨハネが書いた?」

その写本が
キングジェームスの「ギリシア語の 写本 一部ない」
の元の本?

写本!
の元!

ヨハネ本人が書いた本は
「ヘブライ」あるの?1:1!(見つかってないけど「あった写本の「元!本物」?!」)

 

あるのかな?
ヘブライの「新約聖書」?!ヨハネ!
(写本しかないらしい)

三位一体!
新約聖書と
ジーザス=神
神の子イエス
イエスを神さまとする
イーサーは常人のイスラム教との違いは
「言語」の違い

旧約聖書を「シリア語」で読んだムハンマドさんが書いた「コーラン」

虚偽(とイスラム教の、、、「表現」)と言われる2世紀のイエス磔刑贖罪ユダ会計、、、そういう「聖書」
新約聖書は
書いた言語は?
書いた人物は(本人でなく「有名人の名前説」もあるけど!)?
その写本は一部「ない」、、、!

新約聖書はギリシア語のみ(そこからの翻訳)と書いていた人もいたけど、その文章書いたのは「キリスト教」の人、、、だからムハンマドさんがシリア語で旧約聖書、そして「シリア語のヨハネ 黙示録 新約聖書」を読んでいた

ということを知らなかったからではないか?(キリスト教徒の 牧師さん などは ムハンマドさんが コーラン書く時に シリア語で聖書を読んでいたと知らないのではなかろうか?)

ギリシア語からの翻訳
キリスト教
大英帝国pt.2となる前
大英帝国pt.1の「学者たち」の決定版の翻訳!英語の翻訳! キングジェームス!

“The Word,” a translation of the Greek λόγος (logos), is widely interpreted as referring to Jesus,

これが
Jesus
なの?

LOGOS=JESUS
とした 
ギリシア語を「英語」に
「翻訳」!

そこではないかな?
三位一体!
イスラム教との違い
一神教との違い!

多神教 キリスト教と2世紀の「虚偽」

 

LOGOSという
ギリシア語には
ギリシア「哲学」が入っている

(元の言語? ヘブライ??)

ヘブライは
da bar ヘブライで「言葉」と「出来事」

ヘブライから
英語に「正しく」翻訳すると
どうなるのかな?
(イマドキ ぐーぐる翻訳 など自動で ヘブライから英語に翻訳できる? 単語 一つの意味を!エーアイではなく!「人」が自分でそれぞれの辞書の意味を読んで「人が思考して選択!」その上で言葉を一言ずつ選んで「自分で翻訳」してみるか?)

百年の孤独の
スペイン語から日本語翻訳の「ない言葉書いてしまっている誤訳のつつみさん翻訳」!あの話を思い出すrelaxmax

relaxmaxの日本語訳の「正しさ」
(ない言葉 つつみさん「かってに書いちゃっている FUTUROとPASADO」)

No tenìan una segunda oportunidad sobre la tierra la ciudad de los espejos (o espejis …relaxmaxontheroad.com

 

「意と事と言 とはみな相称へる物」(宜長) 

 


日本に伝わった
キリスト教と「聖書」
そしてその「翻訳」

 

地理的にはもっと「近い」(far eastではない)大英帝国pt.1において(しかも! 大航海時代! 手に入れること出来た「写本」はギリシア語のみ? 

もしくは、、、印刷技術が「出来て」正しいもの「偽本(バンクシーのexistencilismみたいに? 中身違う偽!)」わざわざ作られることは さすがになかった? 写本時代は?)


大英帝国pt.1の学者たちは「ギリシア語」から英語に翻訳したというキングジェームス!(それ以外の言語から「翻訳」 ヨハネ(ジョン??) の1:1 してみるか?「それぞれ個人で! エーアイではなく 辞書引きながら 翻訳!」

そうすると?

ギリシア語より
古くて「正しそうな写本」
もしくは「本人書いているとするなら ヨハネが書いた本物(写本ではない本!)」

この世界に存在するのかな?
(今 まだ ググってる最中のrelaxmax)


自分で「元の言語」から翻訳してみたいと思っているから探している!

ヨハネは本人?が
どこでいつ書いた
は「正しい」?の

80~98年 『ヨハネの福音書』を執筆する

ジョン1:1(ヨハネは英語で「ジョン」、、、英語の「翻訳」というもの! キングジェームス時代の翻訳は「ギリシア語」!から英語)

(ムハンマドさんの国なら
ヘブライからシリア語の「正しい」聖書 旧約聖書の「写本 本物」あるのかもな!そして「新約聖書の「その部分」は? ジョン1:1? ギリシア語より「前」元の言語では? ムハンマドさんの国では「あった」のかな?)


大英帝国pt.1やローマ帝国
キリスト教の「国」

オスマントルコ(になる前とか ペルシアとか) 
イスラム教の国

 

(歴史上 争う 宗教戦争など!十字軍の時代や「その前」から、、、人類の歴史と今の「パレスチナ」(3枚舌外交であのあたりの状況 揉めやすい「地域」を作った大英帝国pt.1もしくは2??の「嘘」! 世界史の一部、、、そして一部となっていく「現実世界で今起こっている戦争というもの」!)

 

土地
約束
お金(ユダ? 裏切り??)

(ハンバーガー国もなんだか
「女王(ヴァージン 若かったの?)」が土地をくれるそう100エーカー!え?土地はみんなのもの!インドではない元々あった「新大陸」に住む「インディアン」の考え方と「土地」!、、、それってハンバーガー国の歴史の始まりあたりの「お話?」(虐殺と「白人」と奴隷貿易と「インディアン」)

土地か、、、

 

言語
どの言葉から
それぞれの言語に「翻訳」?

そこに宗教の違い
三位一体 多神教と一神教をみるrelaxmaxであった。。。

 


ヨハネが書いた?
エフェソス時代 (今は トルコ?

ギリシア語で書いたの?
(ヘブライではなく?読んでた旧約聖書はヘブライなのに?)

ギリシア支配時代以降
ヘブライ語は聖書その他の宗教文書に用いられ、一般にはアラム語が日常化していった。イエス時代のパレスチナではアラム語が用いられていた(、、、聖書はヘブライ?)


パピルス写本(ギリシア語)
「写本」
キングジェームス時代の英語「翻訳」
ウルガタ(ラテン語)の

ヘブライとギリシア語

 

ギリシア哲学が入ってる
三位一体!
ジーザス=神!(翻訳! 英語!! ギリシア語から!)

一神教との違い!

古代ローマ帝国の東地中海交易の中心
エフェソスでヨハネが書いた
ジョン1:1
(写本しかなく 写本の「元」はないらしい どの言語だったのかな?)

ロゴスという「ギリシア哲学」
そういう思想が「三位一体」=ジーザス=神 にあらわれている

「言葉」の意味を
ロゴスの「哲学」を読むと、、、
(そして ヘブライの「言葉」の意味を知ること!)

キングジェームスの時代に
ギリシア語
「決定版」の「英語翻訳」!

ギリシア語「写本 一部ない」
から、、、(しかもそれまでの「バビロン捕囚」とか「歴史上」のいろいろあって!corrupted もaltered もあったらしい)


その時代(17C 頭のいい大学の「学者たち」)

決定版の「翻訳」

元は「ギリシア語」

その写本が「1番古くて 正しい」
と思って
そこから「翻訳」?

でも!
ムハンマドさんの時代
彼はシリア語で聖書読んでたけど!
「その場所」に残ってる聖書!

旧約聖書や

新約聖書(、、、の「何語」!ヨハネの部分!)

あるの?(、、、ないのかも? 宗教が違う ローマ帝国ではない ギリシア哲学ではない キリスト教もある場所だけど、、、)

ムハンマドさんが住んで
「読んでた場所」

「正しい写本 シリア語」で読んで
それでコーランを書いたムハンマドさんだと思うけどな、、、

「多神教」との違い
言語 バベル 翻訳
そして!
一神教と多神教!

ギリシア語で書かれて「ヨハネ 新約聖書」 ギリシア哲学ぽい!「考え方」=それが三位一体 ジーザス=神 言語と哲学からきている

とrelaxmaxは思った


(十字架と磔刑
2世紀に付け加えられたストーリー
十字架破壊
ギリシア語 哲学
言語と哲学
ギリシア哲学が「キリスト教」の三位一体、、、
JESUSと英語で「翻訳」する「言語」「LOGOS」


“The Word,” a translation of the Greek λόγος (logos), is widely interpreted as referring to Jesus,

翻訳、というもの

 

79-2 「意と事と言 とはみな相称へる物」(宜長)

 

「意と事と言 とはみな相称へる物」(宜長)

 

日本に最初に伝わっていた聖書は?

 

「蘭学」や出島、

その時代にキリスト教伝来と習うけれど、、、

 

いつジャポンに伝わった?


「どの言語で」?

 

 

ザビエルが「日本語」でもたらした聖書

ザビエルはポルトガル人、そしてイエズス会

おそらくラテン語の聖書が元

 


その後、、、「どの聖書」をどの時代に読んでいた? ニホンジン(私が読んだのはおそらく 新共同訳 17歳、、、)


ヘブライの聖書、旧約聖書はともかく
「新約聖書」はギリシア語しかないの?

共観福音書の3つはヘブライがあるという

 

「写本」しかないのはなぜ?

 

 

 

言葉
こと
ヘブライ語

そしてギリシア哲学

 

宇宙と「言語」どこの国の言葉?そして思考と哲学と「宗教」

memo

 

宇宙論は
入ってる

単なる小説、満月

光の速度は一定ではない!
天動説と地動説ぐらい違う
relaxmaxの宇宙論!

http://relaxmaxontheroad.com/titles-fullmoon/


古代インドではヴェーダにおいて、「無からの発生」や「原人による創造」といった宇宙創生論が見られ、後には「繰り返し生成・消滅している宇宙」という考え方が現れたという。
古代ギリシャにおいては、エウドクソス、カリポス、アリストテレスらが、地球中心説を構築した。アリストテレスは celestial spheres は永遠不変の世界で、エーテルを含んでいる、と考えた。


九つの世界、九つの根を地の下に張りめぐらした名高い、かの世界樹を、わたしはおぼえている。(「巫女の予言」2節)

北欧か、、、

マヤには
マヤの宇宙がある!

古代ギリシャ

紀元前700年ころに活動したヘシオドスの『神統記』の116行目には「まず最初にchaos カオスが生じた


At the November 22, 1951, opening meeting of the Pontifical Academy of Sciences, Pope Pius XII declared that the Big Bang theory does not conflict with the Catholic concept of creation

ビッグバン

カソリック


Bereshit (‘In the beginning’)

9天は全て第五元素であるエーテルから構成されており不変であり

イスラーム

宗教と宇宙

イスラム世界にギリシア哲学が伝わったのはシリアを介して

シリア語で
旧約聖書を読んだムハンマドさん

イランにおいては、今でもイスラーム哲学が盛んに研究されている


異なる物理法則および物理定数なども含まれる。この語は1895年にアメリカの哲学者で心理学者のウィリアム・ジェームズによって造られたが、異なる文脈においてである[2]。多元宇宙が含むそれぞれの宇宙は、平行宇宙と呼ばれることもある。

宇宙の「並行」

並行世界


実は

「ちょっと違うふう」

かも!

宇宙ってなんだろう?

現実の この世界の 地球にある「脳みそ」 物体
として
「考えて」いるからで

光の速度より「早い」
ひらめき

稲妻は「目で見える」
(速度が 地上から 「よゆうで見える」光)

でも!
イナズマ!

ひらめきと
イナズマ
ちょっと似ているのは

「擬似電気信号」としての脳の動きとは違うから!

直感!
計算ではない「動き」=自由
でも!
うつくしい「幾何学的(=計算で 整列しているかのような! でも 地上で見る星と 宇宙空間の どっか「外れ」の方で見る星

その「違い」と同じぐらい
「似ている」けど
違う! もの

並行宇宙?

宇宙は
一つ?

いくつも?

数は「限定」しないと「計算」できない?

無限大と0は
計算できる?

0をかけたら いつも0!

無限大 と 0
その「あいだ」がある

無限大ではないもの
それと
無限というもの

「あいだ」そのもの

まったく計算ではなく
「はかれないもの 数字で言えないもの! 感覚としての「距離」 」

でも合ってる! 時には「数字」より!

他の「誰か」
がヒトの感覚について
「ほんとはなにもいえない」

のに似ている!

スープの冷めない距離
(そのぐらい「近い」
でも「距離があってラク」?
くっつきすぎない? 便利?
感覚というもの!)

それより
「言語」かも!

この表現は
「日本語」で知った
感覚としての距離だけど!

元々 どの言語に「あるフレーズ」?(実はそこを知らないrelaxmax)

 


ヨハネ伝か

(じょん?

https://tb.sanseido-publ.co.jp/column/tango-bunka/column-2685/

 

 


Masoretic Text (MT) born in 160 AD at Zippori

グリークとヘブライ!


ヨハネ福音書 P2、5、6、22、28、36、39、45、52、55、59、63、66、75、76、80、84、90、93、95、106、107、108、109、119、120、121、122、128、134 125年
使徒行伝 P8、29、33、38、41、45、48、50、53、56、57、58、74、91、112、127 250年

???

パピルス写本
125年頃の写本である
ヨハネ福音書の「一部」が、、、

ヨハネ福音書 125年
使徒行伝 250年→ 180年

2世紀か、、、
(十字架 磔刑 贖罪
付け加えられたストーリー
イエス

ということは
「一部」
に「なにかを誰かが」
パピルスは「一部」

だから
付け加えられたのかもな

第一ヨハネ書簡  250年→ 110年
第二ヨハネ書簡  350年→ 130-140年
第三ヨハネ書簡  350年→ 210-250年
ヨハネ黙示録  150年

以上が、各書簡ごとに遡れる成立年代の下限

[言] ギリシャ語のロゴスで「ことば」または「理性」を意味する文字であって、ヨハネはこの語を用いることによって読者がこれを上記の意味に理解することを知っていた。あるいはこの語をもって当時行われしギリシャの哲学(ストア派の)におけるロゴスの思想またはアレキサンドリヤのフィロンの宗教哲学におけるロゴスの思想の影響を受けしものであると論ずる人もあるけれども誤っている。((ヨハネのロゴスとこれらとの間に多くの類似があるにもかかわらず重大なる相違があることを知らなければならぬ。例えばストア哲学においては「世界理性」「世界法則」の意味に解し有機的関連を為している世界に法則と目的とを与うるものをロゴスと呼んでいるけれども、ヨハネの言うごとき神と偕にある人格ではない。またフィロンの場合においてもギリシャ思想と旧約聖書の神学とを調和することによりて彼の哲学的神学系統を形成したのであるが、彼によればロゴスは神と人との間の中間的存在であって神にあらず人にあらず、(ヨハネはロゴスを神となし、その受肉によりて人となり給えりと解す)神と人、神と宇宙との仲介者であってこれを神の長子または第二の神と呼んでいた。また宇宙の秩序運命を支配する法則なりとの意味において「神の人」「天の人」と呼ばれ、また神と人との中間にあるをもって創造、黙示、再生の中保者などと呼ばれていた。これらの点において名称はヨハネのいわゆる「言」の意義に近似しているけれども、フィロンは神の御霊とロゴスとを区別せず、またロゴスとメシヤとの関係なしとするなどの点においてヨハネのロゴスとは異なっている。ヨハネのロゴスは旧約聖書創世記および詩篇(詩33:4-6。詩107:20。詩119:89、詩119:105。詩147:15、詩147:18等)などの思想より転化せるものであった。然らばこの二者は全然無関係なりやというに、然らずむしろギリシャ哲学およびフィロンのロゴス説を彼のロゴス観によって完成することがヨハネの意味であったのであろう。ゆえに彼はイエス・キリストにおいて旧約聖書の「神の言葉」の受肉、化身を見、また同時に人間の思想に表れし真理の片鱗予兆の完成を見たのである。然らざれば彼はキリスト御自身も他の使徒らも用いなかったこの語を用うる必要はなかったのであろう。))

ロゴスと哲学
ギリシア語 ギリシア哲学

ゆえに彼はイエス・キリストにおいて旧約聖書の「神の言葉」の受肉、化身を見、また同時に人間の思想に表れし真理の片鱗予兆の完成を見たのである。

だから
イエス キリストを「神」って考えるのかもな
多神教の キリスト教

(、、、どっちかっていうと
人の子イエスは人とも思う
イーサーは常人
そう思うrelaxmaxであった)

ギリシア哲学
ギリシア語

だから「ヨハネ」は
新約聖書は
「あのかんじ」!

なのかもな!

ことばは神かみと偕ともにあり(き)、

註解: 原語にて神と偕にはプロス、トン、テオン pros ton Theon であって、

単に神と並びて共存するというよりも、

むしろ神に向かって神との不断の交わりにおいて共存することを意味している(G1、Z0)、

またこれによって「言」が神の性質や活動の一部ではなく、別個の個性格(ペルソナ)であることを示している。

ペルソナ!
自身
そして
the same

そういう
言語と「哲学」
そして宗教

ってことなのかもな!

すなわちロゴスは無限の始めより神との間に愛の交わりにおいて存在し給うた。

聖霊の示顕

言(ことば)は神なりき

https://kurosaki-commentary.com/kurosaki_frame.cgi?43+1+1

なかなか面白い

言語と哲学
そして「脳」

 

ギリシア語、、、

“The Word,” a translation of the Greek λόγος (logos), is widely interpreted as referring to Jesus,

哲学
ロゴス

ܒ݁ܪܺܫܺܝܬ݂ ܐܺܝܬ݂ܰܘܗ݈ܝ ܗ݈ܘܳܐ ܡܶܠܬ݂ܳܐ ܘܗܽܘ ܡܶܠܬ݂ܳܐ ܐܺܝܬ݂ܰܘܗ݈ܝ ܗ݈ܘܳܐ ܠܘܳܬ݂ ܐܰܠܳܗܳܐ ܘܰܐܠܳܗܳܐ ܐܺܝܬ݂ܰܘܗ݈ܝ ܗ݈ܘܳܐ ܗܽܘ ܡܶܠܬ݂ܳܐ ܀

ヘブライはないの?
グリーク(写本 2世紀)
より古い そして本人書いた
1:1
それを探してみたけど、、、
(見つかっていない?
それとも
「もともと存在しない」?)

最初に
どの言語で
ヨハネは「書いた」?

読んでいたのは旧約聖書はヘブライ
そういう人が
住んでた場所がグリークだからといって ギリシア語で書くものなのかな?
アラム語で話すイエスの言葉を「正確に伝える」なら そもそも聖書用の言葉 ヘブライで書くのでは?


どうして
写本 ギリシア語 2世紀
しか見つかっていないのか?

キングジェームス
決定版の「英語」「翻訳」
その当時のイギリスで
1番正確な元! はギリシア語の「コレ」って思って学者たちが何年かかけて
「翻訳」(一部ない部分は 「彼らが書いた?」!!!????)

その国ではなくとも
別の
イスラムの国なら
もっと正しい(シリア語 など ヘブライはある?)聖書 伝わって残っていたのかも! 
ムハンマドさんの時代に 彼はシリア語で聖書 (ヨハネの黙示録も!)読んでいる

ヨハネ にシリア語
写本で 翻訳(? 元はヘブライ?? どうだったんだろう?)
7世紀に「ある 聖書 ギリシア語ではない」
おそらく写本!(元の本ではなく?)
ヨハネは「どの言語」で元々書いていた?

ヨハネが
虚偽を2世紀に書いたのではないか?
つまり2世紀の「ヨハネ」! 虚偽の部分! 付け加えられたストーリー!

それまでの聖書
言語はギリシア語ではなく 創世記 旧約聖書が書かれたヘブライでは?

それをギリシア語に「翻訳」LOGOSという考え方で「書いた」ギリシア哲学的な三位一体の「キリスト教」多神教の
「2世紀のヨハネ」が付け加えたストーリー!

“The Word,” a translation of the Greek λόγος (logos), is widely interpreted as referring to Jesus,

哲学
ロゴス

ギリシア哲学が出ている
1:1 ヨハネ

ヨハネ
ヨハネ福音書 125年
使徒行伝 250年→ 180年

2世紀か、、、
(十字架 磔刑 贖罪
付け加えられたストーリー
イエス

ということは
「一部」
に「なにかを誰かが」
パピルスは「一部」

だから
付け加えられたのかもな

ヨハネの思考つまり信仰パターンですが罪の悔い改めの洗礼でした

そうなんや、、、
十字架?
罪?
悔い改め?

懺悔?、、、
贖罪を欲していたのは
「誰」?
そして
「どうして」?

なんとなくの理由は、、、
「罪」
悔い改め

つまり
「罪」があるということ!

 

イエスとの「違い」

そこを離れて、エッセネ派を離れて自分でヨルダン川で洗礼を授ける運動を開始しました。その時の中心的な主張が罪の悔い改めの洗礼でした。これは画期的なことだったのです。

その意味でバプテスマのヨハネはタダの人ではなく、一つの発想から自分独自の世界を切り開いた人なのです。

「独自の世界を切り開いた」?
(独自の聖書も書いちゃった? 新約?!)

 主イエスはバプテスマのヨハネから洗礼を受けた

やはり一時期ヨハネ集団に属していたと考えられます。

主イエスは洗礼を授けるというよりも「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言いました。

「神の国」

主イエスの場合は「神の国のための悔い改め」

このところがバプテスマのヨハネと微妙に違うのですが、しかし主イエスも自分独自の発想を持って宣教活動を行ったのです。

ヨハネは
なんというか「贖罪」ぽいかもなー


エフェソスに移り住み、エフェソス教会の指導者となる。
51年? エルサレム使徒会議に出席する。
80~98年 『ヨハネの福音書』を執筆する。
90~95年 『ヨハネの書簡 1~3』を執筆する。
95~98年 パトモス島に追放され、そこで『ヨハネの黙示録』を執筆する。
98~100年 余生をエフェソスで暮らす。
100年 エフェソスで死去する。

ヨハネ!
自分で書いたの?^_^

別の「説」も!

へブ ラ イ 語 で 「言 葉 」 を あ ら わ す 代 表 的 な 単 語 に ダ バ ル (da bar )がある。ダバルは言葉と出来事の両方の意味を表現する

なるほどな

だって!
言葉があって
出来事がある

言葉 と事は切り離すことができないからである。「できごと」の意味を合わせ
持つ「ことば」である。

言葉と

切り離されて長い
(嘘 偽 増えた)

ヘレニズム

〘 名詞 〙 ( [英語] Hellenism ) ギリシア風であること。広義にはヘブライズムに対立する概念。ヘブライズムとともにヨーロッパ文明の伝統を支えるギリシア精神。狭義には東方的なものとの融合で超民族的・普遍的性格をもったギリシア文明

ヘブライ
対抗
イズム

「意と事と言 とはみな相称へる物」(宜長)

かなりいい
古事記の「注釈書」
書いた彼は18世紀の人
本居宣長
江戸中期の国学者・本居宣長(1730~1801)
本居宣長
三重県松阪市生まれ
医業
古典研究
古事記全文の注釈書『古事記伝』

 

彼は
大陸的な考え方の日本書紀よりも
「古事記」の方が本来の日本的で正しいと考えていたという

 

 

もう聖書
ヨハネ1章1節知ってたの?
ヘブライ!

それを翻訳した?

古事記は

 


ヘブライ知ってる人なのかな!^_^

 


宣長はこのことを、「意ココロと事コトと言コトバとは、みな相称アヒカナへる物」であると言う。

「古事記伝」の初めにある、「抑そもそも意と事と言とは、みな相称へる物にして」云々の文は、其処まで、考え詰められた言葉と見なければならないものだ。

古事記の時代
聖書読んでた人

いたとしたら
「何語」ヘブライかも?

本居宣長の「言葉」
翻訳かと思えるほどに!

ヘブライぽい!

神道!
日本
古事記


自分達の力の及ばない、優れたもの、恐ろしいもの、有り難いもの、不思議なものに出会って素直に驚き、声をあげたとき、それらはおのずと「カミ」と呼ばれた。言葉の力によって初めて、見えたがままの物(カミ)の性ア質ル情状カタチが明らかになったのだ。

小林秀雄

(言葉 そして 神
彼は聖書 もう伝わっている時代の人

本居宣長
聖書読んだことあったかな?
ヘブライぽいあの本居宣長の古事記

そして
古事記の時代の
「その言葉」!

なんとなく
ヨハネの1:1
思い出す

でも
キリスト教伝来は
出島!
とか
「あの時代」

ザビエル
鹿児島
「マタイ」

なんだ

最初の日本語(歴史の授業で習うこと的には!)

『古事記(こじき)』が完成したのが712年(和銅5)。 712年に進上した、と記されています。 帝紀とは、歴代の天皇の系譜。 各地の氏族に口誦で伝えられた様々な伝承のこと。

四天王寺
厩戸の王子

政治家。 593年、推古天皇の摂政となり、蘇我馬子と協力して、 天皇中心の政治を目指しました。 用明天皇の第二皇子、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女。 「聖徳太子」は後世の尊称で、厩戸王と言われています

「593」


シルクロードと、またはシリアからイランを横断する古代のキャラバンルートでつながっていました

とさ

シルクロード
イランからの、、、(wikiで読んだけど!)

遣唐使とか遣隋使の時代?


仏教伝来
日本書紀
欽明天皇13(552)年
百済(くだら)の聖明王の使者が、この地に釈迦仏の金銅像や経典を献上したとあり、それをもって日本に仏教が伝来したとされ

日本の律令政府が
唐に派遣した使節 遣唐使
630年-894年に停止されるまで続いた

聖徳太子時代の遣隋使
607年 遣隋使 小野妹子

聖徳太子の頃
遣隋使
シルクロードから

もしくは
遣唐使の時代

回教 (ムハンマドさん 610年!)
もしくは
旧約聖書 新約聖書
伝わったこと
「もし」あったとしたら

ムハンマドさんはシリア語で
聖書を読んでいた

日本にもし「ヘブライ」の聖書が
シルクロードを通して
伝わっていたとしたら?

そのぐらい
本居宣長
ヘブライのヨハネ1:1ぽい

(イランからは 漢字の名前で呼ばれる「なにか」が シルクロードを通して 遣隋使遣唐使の時代に伝わっている)

ギリシア語ではなく
「シリア語」(ムハンマドさんは シリア語で 旧約聖書も(おそらく新約聖書のヨハネ黙示録も! 同じ部分はあるから!) 読んでたかな?

シルクロードで、、、
それで
厩戸?(まぁたまたま?

古事記
あの言葉!
ヨハネ1:1のヘブライぽいけどな!
「考え方」!


そして、『日本書紀』から読み取れる彼の実名(諱<いみな>)は「厩戸皇子(うまやとのみこ)」です

日本書紀に書いてたのか、、、
本居宣長は、、、「古事記」の方が!

とは書いてたけど


たとえば、『古事記』は天皇家のための歴史書であり、『日本書紀』は国家の歴史書であるという考え方です。 両書とも葦原中つ国を天皇が支配することの正当性を述べているのですが、性格に微妙な相違があるというのです。

神話とヘブライ


入門
神話入門
8世紀初めにまとめられた両書
『古事記』は712年、『日本書紀』は720年というように、いずれも8世紀のはじめにまとめられた歴史書です。神代から書き始められ、『古事記』は推古天皇、『日本書紀』は持統天皇というように共に女帝で終わっているところも同じです。また、両書とも編纂の出発点が、7世紀後半の天武朝にあるという点も一致しています。

この頃
ヘブライの聖書
「ぽい」
聖書「新約聖書」

もし
シルクロードから
日本に伝わっていたとしたら?

ぐらい
本居宣長のあの「古事記」の注釈書の「言葉」

思い出すのは
ヨハネの1:1

新しい文字と翻訳
「聖書」とは
そういうものでもあるらしい


文字は「肉体」か、、、

言葉は文字という「肉体」をとり
という表現

つまり
はなしことば

口から耳には
書き「文字」がまだない

参考文献

file:///private/var/mobile/Containers/Data/Application/20A0B3A5-EB0A-4F39-A77C-C9C10DDC9627/Documents/KJ00004471742.pdf

https://1059ch.sakura.ne.jp/asiato/j/j-yohanetoiesu.html

参考


新約聖書
言語はギリシア語のみと書いていた人もいたけど、「キリスト教」の人

だからムハンマドさんがシリア語で旧約聖書、そして「シリア語のヨハネ 黙示録 新約聖書」を読んでいた

ということを知らなかったからではないか?(キリスト教徒の 牧師さん などは ムハンマドさんが コーラン書く時に シリア語で聖書を読んでいたと知らないのではなかろうか?)

ヨハネ1:1
ジョン
(ヨハネなんだけどな 日本人は日本語で「ヨハネ」さんと思っているけど 、、、英語で聖書読む人は「ジョン」??)


https://www.bible.or.jp/know/know07.html

新約聖書はギリシア語で記された。このギリシア語はヘレニズム時代に地中海世界で共通語となったコイネ-と呼ばれるギリシア語

ここに書いてあったのは
「新約聖書はギリシア語」
ということなんだけど、、、

ムハンマドさんが
シリア語で聖書読んでコーラン書いたとか知らないのではないかな?
(ヨハネの黙示録 シリア語で読んでたムハンマドさんではないかな?)


福音書記者はイエスの語られた言葉の中に、ごく少数ではあるがギリシア語と並行してアラム語を保存している


新約聖書は
ギリシア語!?

(シリア語でムハンマドさんは聖書読んでた

ヨハネの黙示録も「シリア語」で読んでた?

ムハンマドさんは
アラム語部分はアラム語で読んでたとしても、、、

ヨハネの黙示録

同じく
ゴク マゴク
出てくるしなー
コーラン!


住んでいる場所

伝わっている聖書の「言語」

ギリシア語 キリスト教
シリア語 イスラム

ヘブライとアラム語
(新訳は、、、


マタイの福音書はもともとヘブライ語で書かれた後、ギリシア語や他の言語に翻訳されました。 マタイのヘブライ語版は、中世のユダヤ人筆記者によってコピーされた少なくとも28の写本に残っています。 ヘブライ語のマシューの最も重要な写本の1つは大英図書館の図書館に保存されている写本です。

こっちの教会の人は
ヘブライのマタイのこと知ってるけど、、、


従来の仮説(アラム語説)を覆し、イエスが話していた言葉はヘブライ語であったことを、さまざまな証拠をもって論証する。イエスの言葉を元のヘブライ語に訳し直すと、難解な部分が明快に理解できる。

ヨハネの1:1
で思ったな、、、
英語から
ギリシア語(キリスト教が三位一体という ギリシア哲学的だということがわかった! 2世紀パピルスの「虚偽」、、、ここからじゃないかな? ヨハネ 磔刑 付け加えられたストーリー)

JESUSと思わず
「神」と思ってthe wordを読んでいたrelaxmax
(つまり英語で)

イエスはどちらかというと「常人」と思っているrelaxmax
(三位一体 ギリシア哲学的な LOGOSの捉え方で 読んでいなかった、、、)

そして
旧約聖書にある言葉
DA BAR
の意味を知って

さらに
その意味を理解出来た

元の言語 ヘブライで理解する聖書
(その方が 「より伝わる」)

キリスト教の「虚偽」とイスラムの人が書いていたあの「内容」の意味がわかった部分が「ココ」かも!

2世紀 パピルス写本 ギリシア語
ギリシア哲学ぽい考え方の
三位一体
そして LOGOSの「翻訳」
一部(かけていてない 誰か イギリスの学者たちが がんばって書いた キングジェームス!)

新訳はギリシア語しかない
と書いてあるところもあるけど
ヘブライも「ある」と知っている人もいる。

4つのうち「3つ」はヘブライも「ある」!

 

では 新約聖書 ヨハネ「も」!
「ヘブライ」が もしあって

遣隋使の時代(厩戸の皇子の時代に!)
ヘブライの聖書が日本に
シルクロードを通して伝わっていたとして

そのヘブライ
の意味を知る
本居宣長が
「あの翻訳( 古事記を現代語(その当時の!)に注釈書」書いたとしたら?

日本に(鞍馬 牛若丸!)アラム語が伝わっているのは
「聖書のカタチ」ではないか?

そして
2世紀のパピルス写本は
許されたかった「ヨハネ」が書いた虚偽を付け加えたストーリー

イエス 磔刑 贖罪 ユダ 会計 
その「罪が許されるストーリー」を付け加えた2世紀のパピルス写本(ギリシア語!)

ヨハネ本人が書いた
ヘブライが「もし」あるとすれば

2世紀のパピルス写本
ギリシア語の時に
「キリスト教の 贖罪 磔刑 十字架 会計 許されたかった 人が付け加えた」ストーリーなのかも!

ギリシア語で書かれた
LOGOS という言葉
1:1ヨハネはギリシア哲学ぽい!
三位一体 キリスト教っぽい「哲学 考え方」が ギリシア語という言語とギリシア哲学にあらわれている

言語と宗教
イスラム教と(アラム語 ヘブライ シリア 一神教)

キリスト教( ギリシア語 ローマ帝国 そしてギリシア哲学 三位一体 多神教)

 


▼ヘブライ人によって書かれ、ヘブライ的な宗教や伝統習慣が背景になっている新約聖書は、ヘブライ的観点によってのみ正しく  理解できる。本書は、福  音書の研究に新しい光を  投じるであろう。

このヨハネ
あるの?
(4つのうち3つはあると ここでは書いていた)


▼著者のD・ビヴィンは、共観福音書のためのエルサレム学派の研究成果を発表する「エルサレム・パースペクティヴ」誌の編集・発行人。

こういう本もあるらしい

イエスは
アラム語ではなく
ヘブライで話していた「説」の本

(、、、たしかに ロゴス より ヘブライの方が より なるほど!
と思ってたけど)

元々は
ギリシア語の写本より
古い ヨハネ本人が「何語? ヘブライ? イエスはアラム語で話していたけど??」書いた本は

見つけてないだけ?
そもそもなくて

「写本時代」にヨハネ(ということ 有名人の 名前) で
ギリシア哲学的な考え方を入れた
新約聖書 ヨハネ 書いた?

説、、、(?
どうなんだろ!

なんで
写本の「元」
見つけてないのかな?

 


「アレッポ写本」(930年)現在ヘブライ大学でこの写本に基づくヘブライ語聖書を作成している

現在って
「どの現在」?
(まだ作成している最中?)

イエス・キリストの言葉はアラム語であった、という定説をひっくり返すことである。
ちゃんとヘブライ語を話し、ヘブライ語で祈り、ヘブライ語で教えられた。
当時のエルサレムの人々もそうだった
これはシュムエル・サフライ元ヘブライ大学の教授から学んだことである。

それに関連して、マタイ伝がもともとヘブライ語原文だった痕跡があるので、紹介したい

新訳は「全部?」ギリシア語って書いてる別の人もいた、、、

ヘブライ語: ギリシャ語聖書で,聖書筆者は「ヘブライ語」という語を,ユダヤ人が話した言語(ヨハ 19:13,17,20。使徒 21:40; 22:2。啓 9:11; 16:16)や,復活して栄光を受けたイエスがタルソスのサウロに話し掛けた言語を指して使った

ヘブライ

ヘブライ語聖書では,以前から「アラム語」と「ユダヤ人の言語」が区別されていて(王二 18:26),1世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフスは聖書のその記述を考慮し,「アラム語」と「ヘブライ語」を別個の言語と


でも
「述べる」かんじで

アラム語とヘブライ語にはよく似た言葉があり,アラム語からヘブライ語に取り入れられた言葉もあっただろう

これは権威ある初期の幾つかの写本には出ておらず,ヨハネの原文の一部ではないと思われる。(付録A3参照。)ギリシャ語聖書のヘブライ語訳の幾つか(付録C4のJ9,22,23)で,「主の天使」の代わりに「エホバの天使」と訳されている。


ギリシア語聖書を
「ヘブライ」?に??


父は子に愛情を抱いていて: イエスはここで,創造の当初から自分と父との間にある温かな一致の絆と親しい関係を表現している。(格 8:30)ヨハネはこの関係を述べるイエスの言葉を記した時,ギリシャ語動詞フィレオー(「愛情を抱く」)を使った。この動詞はしばしば,真の友の間に存在するような非常に強い絆を表す。例えば,イエスとラザロの間にあった友情の絆を表すのに使われている。(ヨハ 11:3,36)

ギリシア語か。。。

記念の墓: これはギリシャ語ムネーメイオンの訳で,墓を指す。その語は,「覚えている」,「(自分に)思い出させる」という意味の動詞ミムネースコマイに由来

ギリシア語か。。。

裁きの復活: 死ぬ前に「悪いことを行った人」は「裁きの復活」を経験する。ここで「裁き」と訳されているギリシャ語(クリシス)は,文脈によって幾つかの意味合いがある。(ヨハ 5:24の注釈を参照。)この節で,「裁き」という語は,評価や観察の過程,あるいは,あるギリシャ語の辞典が述べているように,「行いを精査すること」という意味で使われているようだ。

ギリシア

以前の正しくない生き方をやめた人だけが,「命の書」に名前を加えられ,「永遠の命」を得る。(啓 20:15。ヨハ 3:36)

ヘブライでは

http://relaxmaxontheroad.com/fullmoon78-da-bar/

だから
英語の聖書は
キリスト教は
三位一体なのだな
ジーザスが 翻訳として「神」
肉 
ギリシア哲学 ギリシアの言語があらわれている
英語の「王」「勅令」で翻訳された決定版のキングジェームス!

ヨハネ
「欠落」

違う部分の
ヨハネ

はあるけど

ジョン1:1
どこかに
ヘブライあるの?
ギリシア語より「前」

写本の「元」

他の3つはヘブライあると書いている人いたけれど!
ヨハネは「ない」のかも!

2世紀の虚偽 パピルス写本
ギリシア語

ってことかなと
relaxmaxは思った

イエス 磔刑 贖罪 ユダ 会計
そういう「付け加えられたストーリー」
ギリシア語の写本! ヨハネ!

ではないかな?
(イエスは常人と思うrelaxmax
どちらの宗教でもないけれど

神さま=イエス
ってそんなに思わないなー
ロゴスがジーザス? 英語の「翻訳」!
神の子イエス というのはわかるんだけど、、、「お話し」東方の三賢者とか、、、(イーサーの話とは別のお話し!)

お墓の話、、、
確か

「いくつもある」
から
それも虚偽では?

と言われていた「部分」でもあるのかな?

ヨハネが書いた?
エフェソス時代
(今は トルコ?

古代ギリシア語で書いたの?
(ヘブライではなく?
アラム語ではなく?

ギリシア支配時代以降
ヘブライ語は聖書その他の宗教文書に用いられ、一般にはアラム語が日常化していった。イエス時代のパレスチナではアラム語が用いられていた(、、、聖書はヘブライ?)

それの「写本」
がキングジェームスの英訳?

哲学者ヘラクレイトスはこの町の出身

ギリシア哲学が入ってる
三位一体!
ジーザス=神!(翻訳! 英語!! ギリシア語から!)

一神教との違い!

古代ローマ帝国の東地中海交易の中心


使徒ヨハネはパトモス島の流刑から解放された後、エフェソスの教会の主教(司教)を務める傍ら、ヨハネによる福音書を書いたと伝えられる(ただしこの伝承の史実性は疑問視されている)。

らしい
「疑問視」

別のところの「年表」と違う説!
(流刑の時に黙示録
でもその「前」にヨハネの福音書

ジョン1:1
新約聖書は
書くときに旧約聖書を読んだ上で「ヨハネが?」書いた?ギリシア語で書いた?どうしてだろう? ヘブライで旧約聖書創世記を読んでいたなら、ヘブライで1:1書くのでは?
ロゴスは「ギリシア哲学」
言葉! 哲学
そして多神教的!

(ヘブライは「ない」が答え?パピルスの「元」見つけてない? そもそも虚偽だから「ない」 どうしてだろう?)


ヨハネが書いたとすると
でも
「ヘブライ」では「xxxx」みたいな記述が「ある」ヶ所もあるの?

エフェソスに移り住み、エフェソス教会の指導者となる。

51年? エルサレム使徒会議に出席する。
80~98年 『ヨハネの福音書』を執筆する。
90~95年 『ヨハネの書簡 1~3』を執筆する。
95~98年 パトモス島に追放され、そこで『ヨハネの黙示録』を執筆する。

流刑の後
黙示録!ヨハネ

別の説との「違い」!どっちが正しいとかあるの?

イスラエル北部ガリラヤのベツサイダにて誕生。若い頃は父・兄とともに漁業に専念。
28~30年 イエスの弟子として宣教活動に仕える。高い山でのイエスの変容を見守る。
30年 最期の晩餐の支度をする。
30年 イエスが磔刑となり、イエスから聖母マリアの身を託される。
30年 刑の3日後に復活したイエスと会う

ヨハネは
イスラエル出身だったら
そこの「言語」で書いた聖書?

古代ギリシア語話す場所、エフェソスで?

古代ヘブライ語
(または聖書ヘブライ語)西暦200年ごろ
に口語として滅亡

英語で
ものを考える人は

「それはセオス(神)のこの二度目の用法に形容詞的性質を付しているので,この句は『ことばは神性をそなえていた』という意味になる」。a 他の学者bや聖書翻訳者たちも同じ点を指摘しています。」

らしい

キングジェームスの時代に
ギリシア語
「決定版」の「英語翻訳」!

ギリシア語「写本 一部ない」
から、、、(しかもそれまでの「バビロン捕囚とか「歴史上」のいろいろあって!corrupted もaltered もあったらしい)

で!
その時代(17C 頭のいい大学の「学者たち」)

決定版の「翻訳」

元は「ギリシア語」

その写本が「1番古くて 正しい」
と思って
そこから「翻訳」?

でも!
ムハンマドさんの時代
彼はシリア語で聖書読んでたけど!
「その場所」に残ってる聖書!

旧約聖書や

新約聖書(、、、の「何語」!ヨハネの部分!)

あるの?(、、、ないのかも? 宗教が違う ローマ帝国ではない ギリシア哲学ではない キリスト教もある場所だけど、、、)

ムハンマドさんが住んで
「読んでた場所」

「正しい写本 シリア語」で読んで
それでコーランを書いたムハンマドさんだと思うけどな、、、

「多神教」との違い
言語 バベル 翻訳
そして!
一神教と多神教!

ギリシア語で書かれた「ヨハネ 新約聖書」 ギリシア哲学い!「考え方」=それが三位一体 ジーザス=神 言語と哲学からきている

とrelaxmaxは思った

メシアつまりキリストが「力強い神」(ヘブライ語はエール ギッボール)

こういう
「ヘブライ」
はあるのか、、、

ヨハネは
ヘブライ語(聖書は! 話すのはアラム語らしい)
の街出身で

エフェソスで
「どっちの言語で書いた?」
「自分でギリシア語でもヨハネが書いた?」

その写本が
キングジェームスの「ギリシア語の 写本 一部ない」
の元の本?

写本!
の元!
本人書いた本は
「ヘブライ」あるの?1:1!

やっぱ

ギリシア語しかないの?

新約聖書はギリシア語で記された。このギリシア語はヘレニズム時代に地中海世界で共通語となったコイネ-と呼ばれるギリシア語で、古典ギリシア語とは異なるものである。使徒たちによってキリスト教が伝えられていったのは、このコイネ-・ギリシア語の世界であったので、新約聖書はコイネ-・ギリシア語で記されたのである。ヘレニズム文化の中心はエジプトのアレクサンドリアであったが、この地で翻訳された旧約聖書のギリシア語訳はコイネ-・ギリシア語であった。この聖書はセプトゥアギンタ(70人訳)と呼ばれている。新約聖書に引用されている旧約聖書はこのセプトゥアギンタによっている。

でも
ヨハネは
イスラエル出身
そこの言語は 
話すのはアラム語? 
聖書用はヘブライ?

そして!
エフェソス! 
その場所は「ギリシャ語」

古典ギリシア語ではなく?
ギリシア語(コイネー)で書いていた、、、新約聖書
つまり
ヘブライないの?

ヘブライで書いてた聖書
生まれはヘブライの言語の街、ヨハネは
「ギリシア語」で聖書、旧約聖書はヘブライで読んだ上で!
新約聖書は「ギリシア語」で自分で書いたの?

その写本を
翻訳したのが
キングジェームス??

正典(カノン)である。カノーンというギリシア語は尺度・規準という意味である。ヘブライ語ではカーネーとなり、葦の茎のことである。旧約時代の人々はまっすぐな葦の茎を竿尺として用いたので、「測り竿」の意味にも使われる。ここから「尺度」「規準」という意味が出てくる。聖書がキリスト教のカノンであるとは、聖書はキリスト教の信仰内容を正しく理解し伝えるための規準

、、、(基準に虚偽、、、あったり
欠けた部分「誰かが書いた」部分あったりするのが 新約聖書??

われわれに伝えられた聖書の本文はすべて写本によるもので、聖書の原本というものは存在していない。旧約聖書全書のヘブライ語写本で現存しているものは紀元10世紀以前のものはない。断片的なものでは1世紀に属する儀式に用いられたと思われる「十戒」と申命記6:4以下の古写本が19世紀末にカイロで発見されている。1947年にいわゆる「死海写本」が発見されて、紀元前1世紀から紀元1世紀に属するヘブライ語聖書写本を手にすることができた。

「写本」
しかほんとにないの??

ヨハネ1:1も!?(ギリシア語オンリー? 旧約聖書はヘブライで読んだヨハネが 本人が? エフェソスで ギリシア語で書いた? その「写本」?

ヨハネ本人はヘブライで書いて(読んでいたのはヘブライの旧約聖書!) そして「ヘブライで書いた」 本!

それを「誰かが翻訳ギリシア語」
その写本?

それを「本人ヨハネがギリシア語でも書いた」
その写本?

どちらにせよ
「一部ない」
そこを「キングジェームスの時代の学者たちは」
「書いた」
なるべく正確な聖書の「翻訳」となるように!!

聖書の活字による最初の印刷は1456年ごろのラテン語聖書の印刷で、聖書の普及に大きな役割を果たすことになった。

ラテン語か。。。

70人訳の「歴史」

理解できなくなった
ヘブライ

だから
「ギリシア語」
なのか、、、


パレスチナから地中海沿岸世界に移住していったユダヤ人は、次第にヘブライ語を理解できなくなった。こうした事情からヘレニズム文化の中心地であったエジプトのアレクサンドリアにおいて、ヘブライ語聖書のギリシア語訳が行われた

ウルガタの

ヘブライとギリシア語


紀元2、3世紀にロ-マ支配下の地域にある教会ではラテン語が用いられていた。数種の不完全なラテン語訳が存在したが、紀元382年ごろ教皇ダマスス1世はヒエロニムスにこれらを改訂し新しいラテン語聖書を作ることを命じた。ヒエロニムスはヘブライ語、ギリシア語本文から訳出し、405年に翻訳を完成させた。このラテン語聖書をウルガタと呼んでいる。1546年トリエント公会議においてロ-マ・カトリック教会の公認された権威ある聖書と決定された。

9世紀にビザンツ皇帝の命でモラヴィア(現在のチェコ中央部)宣教に派遣されたキュリロスとメトディオスは、聖書と典礼の一部を古代スラヴ語に翻訳した。当時、聖書と典礼の言語はヘブライ語、ギリシア語、ラテン語のみという考えが根強く

ヘブライ
ギリシア
ラテン語!

(そもそも 昔は 「学問」「論文」 まずはラテン語で書くことできないと、、、みたいな時代のイギリスもあった?)

ラテン語で書かれた聖書を理解できるのは一部の者だけだった。1381年、ジョン・ウィクリフがラテン語から翻訳した英訳聖書は、母国語訳聖書の先駆けと言える。マルティン・ルターは、彼の進める宗教改革の一環として、聖書を原典からドイツ語に翻訳し、新約聖書は1522年、続編を含む旧約聖書は1534年に出版された

ルター
ドイツ語か。。。

宣教活動に伴うもの
欧米列強がアジア・アフリカを植民地化していく帝国主義の動き

日本に来た宣教師は?
そして
アメリカは
キングジェームスの翻訳の「英語の聖書」だったのかな?

https://www.bible.or.jp/know/know13.html

勉強になるページだけど
結局私の疑問の答えは
まだない、、、

ヨハネ1:1
キングジェームス英語 翻訳
元はギリシア語

ギリシア語写本
(一部かけてる)

その元は「ない」と書いてある

だけど!

元は発見されていないけど

ヨハネ「本人」が
ヘブライ語の生まれで
聖書はヘブライで旧約聖書を読んでいて
書いたのはヘブライ?
書いたのはギリシア語(翻訳誰か 他人がしたわけでなく!)

そのどっちか「元」の本から
「ギリシア語の写本」???

2世紀は
虚偽多かったみたいだから

ヨハネが
イエスの十字架の「許されたかった」「罪」 ある人だったのかな?

十字架 磔刑の
2世紀までになかったストーリーを書いた

ヨハネが生きた時代の
孫の世代の「写本」?

でも成立年代?

(、、、いくつか 内容の違う記述??)

これは権威ある初期の幾つかの写本には出ておらず,ヨハネの原文の一部ではないと思われる。(付録A3参照。)ギリシャ語聖書のヘブライ語訳の幾つか(付録C4のJ9,22,23)で,「主の天使」の代わりに「エホバの天使」と訳されている。


ギリシア語聖書を
「ヘブライ」?に??

ってことは

ヨハネは
旧約聖書をヘブライで読んでたけど
住んでた場所がギリシア語の街だから?

ギリシア語で「書いた」の?

パピルス写本の「元」(見つけてないらしいけど!)

写本しかない「新約聖書」!

でも
元々ヘブライで伝わった部分も
ある?
「謎」!

イエスの言葉や教えがヘブライ的であればあるほど、私たちには(翻訳では)理解しにくくなる。しかし、しばしばもっとも強力なあるいは重要な教えがこれらのヘブライ的な教えなのである。イエスの言葉の多くが事実ヘブライ的慣用句であることから、難解なのだ。

ヨハネ!
ジョン
1:1

写本 2世紀
かけてる部分を
「英語で学者ががんばって」
書いたのかなぁ、、、

ギリシア語
パピルス写本から「翻訳」

で!
ヘブライある
その3つは

ヘブライから英語
の方が「正確」なのかな?

-
原ヘブライ語福音書テキストの復元

あるのか、、、
(ではあのページの「ギリシア語のみ 新約聖書」 って書いてるページ、、、間違い??)

-
歴史的でヘブライ的な共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)はほとんど無視している

ということは
ヨハネは
ヘブライないの?

-
共観福音書の基になった最初の福音がギリシア語でなく、ヘブライ語で伝達されたということにある。これは、それ自体翻訳書であるものを、さらに英語に再翻訳されたものを、私たちは聖書として読んでいることを意味する。だから、ギリシア語やそれからの翻訳では意味を成さないような、ヘブライ的表現や慣用句に終始出合うのである。

-

それらはヘブライ語に訳し戻したときにのみ理解できるからである

と彼は書いている

今どきは「オンライン 辞書」もあるから

ヘブライで
自分で
ジョン1:1
読みたいのだけど、、、
(世界のどこかに「存在」してるの?)

あの3つは
ヘブライあるらしい

私は二十四歳のとき、ヘブライ大学で学ぶためにイスラエルへ行った。当時は私は福音書を読むことは止めていたに近い。といっても、聖書を読んでいなかったのでなく、無意識に福音書を避けていたのである。福音書の中にこそイエスの真の言葉と教えがあったのに、である

ヘブライ!

ギリシア語で書かれた本文は聖書全体の一二パーセントを超えない。しかもその一二パーセントから旧約聖書からの引用、一七六箇所(ヨハネ福音書中に一四、使徒行伝一五・三六以下新約聖書の終わりまでに一六二箇所)を引けば、もともと聖書中のヘブライ語で構成されていた部分の割合は九〇パーセントを超えるのである

ヨハネは、、、
ギリシア哲学
あのギリシア語

、、、ヘブライの方が
なんかしっくりきたけどなー!

なんかやっぱ

パピルス写本
しかないのかな、、、?ヨハネ、、、
(他の三つはヘブライがある)

(その「前」 元の本
写本より「前」!

マンチェスター大学にあるらしい
パピルス写本

イエスは、紀元30年にエルサレムで十字架刑に処されました。 罪名は「ローマ帝国に対する反逆罪」です。

ローマ「帝国」か。。。

イエスはヘブライ語を知っており時にはそれを使っていましたが、日常の会話や説教においては、通常、アラム語を話していたと思われます。というのもガリラヤ地方のユダヤ人は、日常生活でアラム語を話していたからです。実際、ギリシャ語の福音書の所々で、イエスが口にした言葉や文章がアラム語のままになっています。それらは、talitha qum(マルコ5,41)、corbán(マルコ7,11)、effetha(マルコ7,34)、geenna(マルコ9,43)、abbá(マルコ14,36)、Eloí, Eloí, lemá sabacthaní?(マルコ15,34)、他にも話し相手の言葉として、rabbuni(マルコ10,51)など

結局
ギリシア語写本

より「前」

「ヨセフ本人」が書いた本 
あったのかな?

どこかに「どの言語」で書いたもの?

(イエスが語った言語は アラム語 でも他にも、、、)


イエスの言葉をアラム語に翻訳すると、その力強さはより明瞭になり、当時のギリシャ語にはないアラム語特有の言葉遣いも見出されるのです。さらに、福音書をセム系の言語に翻訳すると、ギリシャ語では表現できない言葉遊びも見出すことができるのです。

言葉あそび

アラム語で話してた
イエス
それを
本人の「口」からの言葉を聞いていて
ギリシア語で?
ヨセフが「本人が聞いてた言葉を」書いたの?

ギリシア哲学っぽい考え方の
あの言葉!

三位一体。。。


その根拠には「ヨハネによる福音書」のロゴスに関する有名な導入部がアラム語による賛美歌のギリシャ語訳ではないかと考えられていること

アラム語か。。。
(この讃美歌は?

どこで
歌われていた?
この讃美歌「場所」!


古代ギリシャ
ヘラクレイトスが「万物はロゴスに従って流転する」と言う時、ロゴスは「法則・真理」

そのぐらい
ロゴス

ギリシアっぽい
哲学ぽい

(、、、そういうヨハネ?
だって生まれは
イスラエルでイエスはアラム語だけど

「ギリシア語で?
話すのはアラム語
読むのはヘブライの旧約聖書で?最初からヨセフは書いてた?」

ヨセフはヘブライで書いて「誰か」がギリシア語に翻訳した
パピルス写本2世紀??

ヨセフはいない書いていない

写本はギリシア語で最初から書かれた(有名人の ヨセフという名前にしておこう説?)

(有名人の ヨハネ! ということにしておこう?)

2世紀に虚偽が多い理由は?

それまでの聖書になかった
虚偽!
2世紀までなかった聖書の
「付け加えられたストーリー」

ヨハネが
書いちゃった?(聖書になかった 十字架 磔刑のストーリーを?)

どうだろう?

ギリシア語!
ギリシア哲学!的
三位一体!

最初の日本語訳聖書は1835年(天保6年)にカール・ギュツラフ(Karl Friedrich Augustus Gutzlaff, 1803~1851)というプロシャの宣教師が翻訳した「ヨハネの福音書」と「ヨハネの手紙」でした。新改訳では「ヨハネの福音書」がタイトルですが、日本ではじめてのギュツラフ訳のヨハネ伝のタイトルは「ヨハンネス、福音の伝え」(『約翰福音之傅』)がタイトルです。

最初のヨハネ?

日本における、、、
(もしヘブライで シルクロードを通して 聖書が伝わっていなかったら?
厩戸の皇子はいるけど!
アラム語が日本語になっているけど?)

1832年(天保3年)の10月11日、尾張米を積んだ千石船「宝順丸」に乗って鳥羽港を江戸へ向かって出発しました。ところが、途中遠州沖で遭難してしまい、14ヶ月間の漂流の後に1834年(天保5年)1月、バンクーバーの近くの北米西海岸ワシントン州のフォートバンクーバーのフラッタリー岬に漂着しました

鳥羽から
漂流
そして
「奴隷」?

インディアンの奴隷の日本人???

(そんなこともあったんだ。。。)


マカー族のネイティブアメリカンに捕らえられ、奴隷にさせられていました。当時はそこはカナダの貿易会社の植民地であり、そこのハドソンベイ会社の支配人がインディアンを追っ払って彼等を救出

カナダ人が
日本人を
「インディアン」から助けてくれたらしい

アジア人を奴隷にするインディアン??
インディアンを奴隷にする白人?

、、、(はじめてきく話だな

ギュツラフは、彼ら3人を日本語教師として、ヨハネによる福音書 とヨハネの第一、第二、第三の手紙を翻訳しました。翻訳は、1835年12月より始まり、翌年1836年11月に完成しました。この聖書は、現存する最初の日本語聖書として有名なギュツラフ訳の「ヨハンネス、福音の伝え」と題されている「ヨハネの福音書」と「ヨハンネスの書簡」です。この本は1837 年シンガポールで発行され、最初の和訳聖書となった。この貴重な翻訳書は、シンガポール大学に

ジョン は英語
ヨハンネス だったのか
最初の日本語の「ヨハネ」

「ヨハンネスノツタエ、ヨロコビ。ハジマリニ カシコイモノゴザル。 コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル。コノカシコイモノゴクラク。」


なんかかわいいけどな!

言を「カシコイモノ」、神を「ゴクラク」、と訳し、しかも尾張の方言を含んでいます。

 「カシコイモノ」(logos)の

「な、昔。良参寺の和尚さんな、善悪のわからんもんは、愚か者やと言うたわな」「ああ言うた、言うた、よう言いなさった」
懐かしい良参寺の境内を思い出しながら、音吉が答えた。
「したらな、善悪をわかる者は、愚か者の反対やろ」
「そうや。それで?」「したらな、愚か者の反対は、賢い者やろ。どうや、舵取りさん」今、ギュツラフは、善悪を判断する智恵と、確かに言った。「なるほど、賢い者か。それがええな」岩吉がうなずき、ギュツラフに言った。「かしこいもの」「カシコイモノ?」ギュツラフは、ノートにその言葉を書いた。

これが三浦綾子の「海嶺」からの引用

和尚さんか、、、

言葉
ジョン
ヨセフは、、、

ロゴス 言葉 
カシコイモノ 神
和尚さん、、、

 

岩吉、久吉、音吉はアメリカのモリソン号で日本に送り返されたのにもかかわらず、幕府の「異国船打ち払い令」のために幕府はアメリカの商船を砲撃したのです。その結果三人は上陸することができず、母国を目の前にしながら、涙をのんでマカオに戻らなければなりませんでした。音吉は、その後、日英和親条約の通訳を務めるなど活躍しました

えー
日本に帰れない
撃たれてしまうの?!?!
(そして 奴隷にもなったしな

波瀾万丈な生涯

もう一つが黙示録19章13節です。

19:13 その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。

19:15 この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。

15節は、「ことば」(ロゴス)を解明する一つの手がかりです。「この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。」つまり神の「ことば」であるキリストは、口からみことばの剣を出す、支配者、世界の裁判官なのです

口から
「肉」 言葉

かも!

肉体としての
「書いてある言葉」!

キリストは肉体をとってご自分を現された神の啓示者なのです。

「イエス」=肉体を

「ギリシア語」「翻訳」「ギリシア哲学的」に
「解釈」


それまでの聖書になかった
「虚偽」
イエス 磔刑のストーリーになっていくのではないかな?

口から出たまんま
音 言語
それが
「書かれる」肉体としての言葉

肉体=イエス 神の子
という「考え方」
ロゴスという言葉
ギリシア哲学ぽい!

当時「ロゴス」ということばは、ギリシャ人にもユダヤ人にも色々な形で広まっていた流行語でありました

流行

この「ロゴス」は、ユダヤ的背景としては、旧約聖書や中間時代の「ソロモンの知恵」などの知恵文学があります。例として「ソロモンの知恵」9章1-2を引用しましょう。

「ソロモンの知恵」
9章1-2を引用

「先祖たちの神、憐れみ深い主よ、あなたは言によってすべてを造り、知恵によって人を形づくられました。」

ロゴス

ギリシャ的ヘレニズム的背景としても「初めにことばがあった」と論じる人たち

ギリシャ哲学者ヘラクレートス(Heraclitus, 545-484B.C.)、ストア派哲学(Stoics)、ユダヤ教の哲学者フィロン(Philo, 30B.C.-40 A.D.)そしてギリシャ哲学の影響を受けたキリスト教の異端のグノーシス主義(Gnosticism)などが「はじめにことばがあった」と説いています。

旧約聖書はヘブライ

そもそも
フィロンの哲学を知っていた?
(ユダヤ教の、、、迫害されて十字架? だけど そっちの「考え方」を?)

イエス もしくは
ヨハネ。。。

(ただ旧約聖書に da barという言葉がある)


ギリシア哲学って、、、イエスが生きた時代、「その場所」にはあったのか?
そしてアラム語を話しヘブライで旧約聖書を読んでいたイエスが、、、ギリシア語でギリシア哲学「も」?、、、??

ギリシャ哲学の教科書を見るとわかるのですが、ギリシャ哲学は、「初め」(アルケー)が何なのかを探求する営みからはじまりました

ギリシア語で書かれた写本しかないの?

ヨハネ!
1:1
はじめの言葉が

そのギリシア哲学ぽい言葉!
の写本 ギリシア語 2世紀 パピルス! からの「翻訳」の 英語の聖書と、、、キリスト教というもの!

ヨハネの福音書

ギリシャ哲学が探求していたその「初め」

キリストであるという答え

、、、
とは
実は私思わなかったのは

キリスト教徒ではなく
聖書読む日本人だからかな?
(英語 もしくは もしくは 日本語 または ギリシア語で!)

キリストと「翻訳」されたJesusって思って読んだ?「英語の」「学者」!

ロゴスということばは、当時の知識階級が好んだことばでした

、、、知識階級と「聖書」

「初めにことばがあった」という言い方の最も直接的な思想的な背景は旧約聖書にでてくることば(ダーバール)

言葉と事
そして
意識の意
意図の意
(古事記 本居宣長)

やっぱり
日本には
ヘブライで聖書伝わっていたと思うけどな。。。


厩戸皇子という「名前」

アラム語は元々アッシリア人の言語(シリア語)
これ知らなかったな。。。

ムハンマドさんは
かなり正確な聖書の写本
シリア語で読んでいたのでは?

古代の日本にアラム語
入ってきてる

っていうことは
「聖書の写本のカタチ」

でも入ってきてた?

麻呂?
厩戸?

牛若丸?(鞍馬でそういや修行してた笑!^_^シリア語??

 

イスラエル聖書協会から発行された、アラム語のペシッタと現代ヘブライ語の対照新約聖書です。

アラム語は、紀元前1000年代から古代オリエント世界において広く使われた言語(Linga Franca)です。旧約聖書のヘブライ語ももともとはアラム語の一方言であり、共通の語根を持つ単語を多く有しております。また、エズラ記やダニエル書などの一部もアラム語で書かれております。捕囚後のイスラエルの人々がヘレニズム以前に主に使ったのはアラム語でして、ヘブライ語で聖書を読み、アラム語で議論するということが広く行われてきました。アラム語に翻訳されたヘブライ語聖書をタルグムといいます。

あれ?
アラム語の一方言であり、地域の名前からシリア語と呼ばれた言語に新約聖書が翻訳されていきました

って
あのページに書いてた?
新約聖書って
ギリシア語のみ、、、(は違うのでは? 3つはヘブライあるとも読んだ そしてイギリスの図書館に「ある」マタイのヘブライ!

写本(キングジェームスは! 英語翻訳)はギリシア語

(ヘブライあるって 本書いてた あの人は、、、)


ヘブライはないの?グリーク(写本 2世紀)より古い そして本人書いた1:1それを探してみたけど、、、(見つかっていない?それとも「もともと存在しない」?)

最初にどの言語でヨセフは「書いた」?

読んでいたのは旧約聖書はヘブライそういう人が住んでた場所がグリークだからといって ギリシア語で書くものなのかな?アラム語で話すイエスの言葉を「正確に伝える」なら そもそも聖書用の言葉 ヘブライで書くのでは?

−どうして写本 ギリシア語 2世紀しか見つかっていないのか?−キングジェームス決定版の「英語」「翻訳」その当時のイギリスで1番正確な元! はギリシア語の「コレ」って思って学者たちが何年かかけて「翻訳」(一部ない部分は 「彼らが書いた?」!!!????)

その国ではなくとも別のイスラムの国ならもっと正しい(シリア語 など ヘブライはある?)聖書 伝わって残っていたのかも! ムハンマドさんの時代に 彼はシリア語で聖書 (ヨハネ黙示録も!)読んでいる

ヨハネ にシリア語写本で 翻訳(? 元はヘブライ?? どうだったんだろう?)7世紀に「ある 聖書 ギリシア語ではない」おそらく写本!(元の本ではなく?)ヨセフは「どの言語」で元々書いていた?

ヨセフが虚偽を2世紀に書いたのではないか?
(2世紀の「ヨセフ」 あの写本!付け加えられた虚偽!)

聖徳太子時代の遣隋使607年 遣隋使 小野妹子

聖徳太子の頃遣隋使シルクロードから

もしくは遣唐使の時代

回教 (ムハンマドさん 610年!)もしくは旧約聖書 新約聖書伝わったこと「もし」あったとしたら

ムハンマドさんはシリア語で聖書を読んでいた

日本にもし「ヘブライ」の聖書がシルクロードを通して伝わっていたとしたら?

そのぐらい本居宣長ヘブライのヨハネ1:1ぽい

ヘブライ語のマシューの最も重要な写本の1つは大英図書館の図書館に保存されている写本です

ヘブライあるのに!
なんで?
マタイをヘブライから「英語」!にしなかった?
キングジェームス時代は
持ってなかったの?
その「写本」

今ならあるなら
ヘブライから「マタイ」
翻訳すると
2世紀のパピルスと「そのぐらい違う」? どこが「いっしょ」?

 

 

奴隷貿易と「聖書」印刷技術と布教
キングジェームス!
(マタイのヘブライ「イギリスの図書館」にあるなら それの全文英語訳、、、「どこかに」あるの?)


最も重要な写本の1つヘブライのマタイは「あの国の」図書館にいまもあるという

ヨハネのヘブライは「日本」にシルクロードを通して!伝わっていたなら「もし」!(アラム語は日本に伝わっている! 言語だけが伝わるかな? 聖書のカタチで言葉は伝わったのでは? そして!本居宣長の「あの言葉、古事記の注釈書」ヘブライぽい! 聖書ヘブライの存在を「日本」に感じる言葉!)


偶像破壊(ヘブライで人々は「もっと」!聖書を読もうとする! 電脳空間(サイバースペース)の辞書の現代において!)

それぞれの中で偶像が破壊されていくヘブライという「言葉」

キリスト教の原罪を癒す(キリスト教の生まれ! イエスの嘘! イーサーではない 多神教はギリシア哲学的! LOGOS! このギリシア語とギリシア哲学!)そしてイスラムの受難を癒すrelaxmax

 

79-7 宇宙と人類

http://relaxmaxontheroad.com/fullmoon78-da-bar/

 

 


宗教と宇宙観
そして
天動説と地動説 (そして投獄、、、そういう時代であった! 宗教というもの)


多元宇宙
含む
それぞれの宇宙
平行宇宙と呼ばれることもある

 

宇宙の「並行」

並行世界


実は

「ちょっと違うふう」

かも!

 

宇宙ってなんだろう?

現実の この世界の 地球にある「脳みそ」 物体
として
「考えて」いるからで

光の速度より「早い」
ひらめき

稲妻は「目で見える」
(速度が 地上から 「よゆうで見える」光)

でも!
イナズマ!

ひらめきと
イナズマ
ちょっと似ているのは

「擬似電気信号」としての脳の動きとは違うから!

直感!
計算ではない「動き」=自由
でも!
うつくしい「幾何学的」=計算で 整列しているかのような! でも 地上で見る星と 宇宙空間の どっか「外れ」の方で見る星

その「違い」と同じぐらい
「似ている」けど
違う! もの


並行宇宙?

宇宙は
一つ?

いくつも?

数は「限定」しないと「計算」できない?

無限大と0は
計算できる?

0をかけたら いつも0!

無限大 と 0
その「あいだ」がある

無限大ではないもの
それと
無限というもの

「あいだ」そのもの

まったく計算ではなく
「はかれないもの 数字で言えないもの! 感覚としての「距離」 」

でも合ってる! 時には「数字」より!

他の「誰か」
がヒトの感覚について
「ほんとはなにもいえない」

のに似ている!

スープの冷めない距離
(そのぐらい「近い」
でも「距離があってラク」?
くっつきすぎない? 便利?
感覚というもの!)

 

それより
「言語」かも!

この表現は
「日本語」で知った
感覚としての距離だけど!

元々 どの言語に「あるフレーズ」?(実はそこを知らないrelaxmax)

 


言語で
なにかを理解するということ

宇宙と宗教

宗教「観」と世界

 

そして人類

http://relaxmaxontheroad.com/titles-fullmoon/

https://note.com/relaxmax/n/n45b4f98cbde3

 

単なる小説 満月79 キリスト教の原罪を癒す(キリスト教の生まれ! イエスの嘘! イーサーではない 多神教はギリシア哲学的! LOGOS! このギリシア語とギリシア哲学!)、、、そしてイスラムの受難を癒すrelaxmax「言葉で癒すということ!」 十字架破壊

ヘブライはないの?
グリーク(パピルス写本 2世紀)
より「古い」 写本の「元」

そして「本人」が書いた
ヨハネ1:1
それを探してみたけど、、、

 

(見つかっていない?
それとも
「もともと存在しない」?)

 

ギリシア語しかない説

共観福音書4つのうちヨハネ以外の3つはヘブライがある説

ヘブライ的表現や慣用句に終始出合うという

元はヘブライ、そこからギリシア語へ そしてさらに ヘブライへ

 

 

最初に
どの言語で
ヨハネは「書いた」?



読んでいた旧約聖書はヘブライ

そういう人が
住んでた場所がグリークだからといって ギリシア語で書くものなのかな?

アラム語で話すイエスの言葉を「正確に伝える」なら そもそも聖書用の言葉 ヘブライで書くのでは?

 

 

文字は「肉体」

この考え方も ギリシア語 ギリシア哲学っぽい

 

言葉は文字という「肉体」をとり
という表現

 

つまり
はなしことば

 

口から耳には
書き「文字」がまだない

 

 

口承で
「イスラエル」でイエスの「磔刑」
本人イエスが

(イエスが直接「書いた」聖書はどこにある?ヘブライで読んでヘブライで書いた「新約聖書」と「旧約聖書」の「あいだ」?

(、、、本人は 話すのはアラム語? ヘブライで話した「説」もあるの?)

それを
ロゴス=ギリシア哲学 で書くのは「ヘブライ語で旧約聖書読んでた本人」?

もしくは、、、「ヨハネ」(耳で聞いてたほうの「本人」)

直接イエスから「耳で」その場所
あの街のいろいろ
「丘」などの話
ヨセフ本人がイエス「本人の口」からヨセフの「耳」で「聞いた」言葉

イエスは「何語で話す(アラム語? ヘブライ説?も??)」

 

イエスがヘブライで話す(もしくはアラム語で話す?)

そのまま
ヘブライでヨセフ本人が「書いた」ヨセフ1:1なら イエスの言葉「正確に」 いろんな「説」(違う内容書いてある)がないのではないか?

 

ヨハネが住んでいた場所、書いたという「場所」がギリシア語の街でも、ヘブライで旧約聖書創世記を読んで、1:1を書いたのに!

ヘブライで書いた「写本」残ってないの? ギリシア語しかないの?

写本しかなく「元」がないのはなぜ?

そして「元」の言語は?

キングジェームス当時の大英帝国pt.1が「ギリシア語」(写本 一部ない 誰かが「書いた」) を元に「なるべく正確」な「英語」聖書を布教のため! 作ろうとした「理由」!!!(みんなラテン語読むことできる 学者 たちばかりでないからでは??)




どうして
写本 ギリシア語 2世紀
しか見つかっていないのか?

キングジェームス
決定版の「英語」「翻訳」
その当時のイギリスで
1番正確な元! はギリシア語の「コレ」って思って学者たちが何年かかけて
「翻訳」(一部ない部分は 「彼らが書いた?」!!!????)


その国ではなくとも
別の
イスラムの国なら
もっと正しい(シリア語 など ヘブライはある?)聖書 伝わって残っていたのかも!
ムハンマドさんの時代に 彼はシリア語で聖書 (ヨハネの黙示録も!)読んでいる

ヨハネ にシリア語
写本で 翻訳(? 元はヘブライ?? どうだったんだろう?)
7世紀に「ある 聖書 ギリシア語ではない」
おそらく写本!(元の本ではなく?)

ヨハネは「どの言語」で元々書いていた?
ヨハネ」が
虚偽を2世紀に書いたのではないか?


つまり2世紀の「ヨハネ」! 
虚偽の部分! 付け加えられたストーリー!
それまでの聖書
言語はギリシア語ではなく 
創世記 旧約聖書が書かれたヘブライでは?
それをギリシア語に「翻訳」LOGOSという考え方で「書いた」ギリシア哲学的な三位一体の「キリスト教」多神教の
「2世紀のヨハネ」が付け加えたストーリー!

“The Word,” a translation of the Greek λόγος (logos), is widely interpreted as referring to Jesus,


哲学
ロゴス
ギリシア哲学が出ている
1:1 ヨハネ


ヨハネ
ヨハネ福音書 125年
使徒行伝 250年→ 180年
2世紀か、、、
(十字架 磔刑 贖罪
付け加えられたストーリー
イエス
ということは
「一部」
に「なにかを誰かが」

パピルスは「一部」
だから
付け加えられたのかもな(英語翻訳の時にも!)


主イエスの場合は「神の国のための悔い改め」
しかし
ヨハネの思考、信仰パターンは「罪の悔い改めの洗礼」でした



十字架?
罪?
悔い改め?
懺悔?、、、

贖罪を欲していたのは
「誰」?
そして
「どうして」?
なんとなくの理由は、、、

「罪」
悔い改め
つまり
「罪」があるということ!

イエスとの「違い」

そこを離れて、エッセネ派を離れて自分でヨルダン川で洗礼を授ける運動を開始しました。その時の中心的な主張が罪の悔い改めの洗礼でした。これは画期的なことだったのです。
その意味でバプテスマのヨハネはタダの人ではなく、一つの発想から自分独自の世界を切り開いた人なのです。

「独自の世界を切り開いた」?
(独自の聖書も書いちゃった? 新約?!)

主イエスはバプテスマのヨハネから洗礼を受けた

やはり一時期ヨハネ集団に属していたと考えられます。
主イエスは洗礼を授けるというよりも「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言いました。

 

「神の国」



主イエスの場合は「神の国のための悔い改め」

このところがバプテスマのヨハネと微妙に違うのですが、しかし主イエスも自分独自の発想を持って宣教活動を行ったのです


ヨハネは
なんというか「贖罪」ぽいかもな


エフェソスに移り住み、エフェソス教会の指導者となる。
51年? エルサレム使徒会議に出席する。
80~98年 『ヨハネの福音書』を執筆する。
90~95年 『ヨハネの書簡 1~3』を執筆する。
95~98年 パトモス島に追放され、そこで『ヨハネの黙示録』を執筆する。
98~100年 余生をエフェソスで暮らす。
100年 エフェソスで死去する。

ヨハネ!
自分で書いたの?^_^「この場所」で?
どの言語で?

別の「説」も!

へブ ラ イ 語 で 「言 葉 」 を あ ら わ す 代 表 的 な 単 語 に ダ バ ル (da bar )がある

ダバルは言葉と出来事の両方の意味を表現する


なるほど!

だって!

言葉があって
出来事がある

 


言葉 と事は切り離すことができないからである。「できごと」の意味を合わせ
持つ「ことば」である。

 

言葉と

切り離されて長い
(嘘 偽 増えた)

ヘブライではないからでは?
聖書!

今どきは
電脳空間辞書(サイバースペース)
「元」があれば
それぞれの「言語」の人が電脳空間(サイバースペース)「辞書」を駆使して「自分」で理解することは出来る!


ヘブライの「元」を探している
relaxmax

ヨハネが旧約聖書創世記をヘブライで読んで!そして「ヘブライで書いた」ヨハネ1:1!

どうして「ない」のだろう?ギリシア語のパピルス写本2世紀しか、、、?


イスラムの受難を癒す
キリスト教の原罪を癒す

そして十字架破壊

2世紀の虚偽
付け加えられたストーリー
十字架 磔刑 贖罪 会計 ユダ 

新約聖書
言語はギリシア語(コイネー)のみと書いていた人もいたけど、「キリスト教」の人

だから
ムハンマドさんがシリア語で旧約聖書、そして「シリア語のヨハネ 黙示録 新約聖書」を読んでいた

ということを知らなかったからではないか?(キリスト教徒の 牧師さん などは ムハンマドさんが コーラン書く時に シリア語で聖書を読んでいたと知らないのではなかろうか?)

ヨハネ1:1
ジョン
(ヨハネなんだけどな 日本人は日本語で「ヨハネ」さんと思っているけど 、、、英語で聖書読む人は「ジョン」??)


ムハンマドさんの時代
彼はシリア語で聖書読んでいた
「その場所」に残ってる聖書!

旧約聖書や

新約聖書(、、、の「何語」!ヨハネの部分!)

あるの?(ないの? 宗教が違う ローマ帝国ではない ギリシア哲学ではない キリスト教もある場所だけど、、、)

 

ムハンマドさんが住んで
「読んでた場所」

「正しい写本 シリア語」で読んで
それでコーランを書いたムハンマドさんだと思うけどな、、、(アラム語とシリア語は近い そしてヘブライで書いている旧約聖書)

「多神教」との違い
言語 バベル 翻訳
そして!
一神教と多神教!

ギリシア語で書かれた「ヨハネ 新約聖書」 ギリシア哲学ぽい!「考え方」=それが三位一体 ジーザス=神 言語と哲学からきている

とrelaxmaxは思った

福音書記者はイエスの語られた言葉の中に、ごく少数ではあるがギリシア語と並行してアラム語を保存している


新約聖書は
ギリシア語??

シリア語でムハンマドさんは聖書読んでた

ヨハネの黙示録も「シリア語」で読んでた?

ムハンマドさんは
アラム語部分はアラム語で読んでたとしても、、、

ヨハネの黙示録

同じく
ゴク マゴク
出てくるしなー
コーラン!

住んでいる場所

伝わっている聖書の「言語」

ギリシア語 キリスト教
シリア語 イスラム

元々聖書はヘブライ
アラム語とシリア語は近い
イエスはアラム語で話したという

ヘブライとアラム語
(新訳は、、、


マタイの福音書はもともとヘブライ語で書かれた後、ギリシア語や他の言語に翻訳されました。 マタイのヘブライ語版は、中世のユダヤ人筆記者によってコピーされた少なくとも28の写本に残っていますヘブライ語のマシューの最も重要な写本の1つは大英図書館の図書館に保存されている写本です

この教会の人は
ヘブライのマタイのこと知ってるけど、、、

 

ヘブライ語のマシューの最も重要な写本の1つは大英図書館の図書館に保存されている写本です

ヘブライあるのに!
どうして大英帝国pt.1
マタイをヘブライから「英語」!に翻訳しなかった?キングジェームス時代
持ってなかったの?

(それとも ヘブライの「正しさ」を知っていて「あえて」使わずに 2世紀のパピルス写本を元に「翻訳」したの? 当時の学者たちはどう思っていた?)

その「写本」

今ならあるなら
ヘブライから「マタイ」
翻訳すると
2世紀のパピルスと「どのぐらい違う」? どこが「いっしょ」?

 

最も重要な写本の1つ
ヘブライのマタイは大英帝国pt.1の図書館にいまもあるという



従来の仮説(アラム語説)を覆し、イエスが話していた言葉はヘブライ語であったことを、さまざまな証拠をもって論証する本の紹介を読んでいた


その人「も」やったというイエスの言葉を元のヘブライ語に訳し直すこと

ヨハネの1:1
で思った!

ギリシア語の LOGOS!
旧約聖書の言葉のヘブライは
DA BAR その違い!
(Da barはギリシア哲学ではない!)

英語から
ギリシア語(キリスト教が三位一体という ギリシア哲学的だということがわかった! 2世紀パピルスの「虚偽」、、、ここからじゃないかな? ヨハネ 磔刑 付け加えられたストーリー)

 

JESUSと思わず
「神」と思ってthe wordを読んでいたrelaxmax
(つまり英語で)

イエスはどちらかというと「常人」と思っているrelaxmax
(三位一体 ギリシア哲学的な LOGOSの捉え方で 読んでいなかった、、、)


そして
旧約聖書にある言葉
DA BAR
の意味を知って

さらに
その意味を理解出来た

元の言語 ヘブライで理解する聖書
(その方が 「より伝わる」)


キリスト教の「虚偽」とイスラムの人が書いていたあの「内容」の意味がわかった部分が「ココ」かも!

2世紀 パピルス写本 ギリシア語
ギリシア哲学ぽい考え方の
三位一体
そして LOGOSの「翻訳」
一部(かけていてない 誰か イギリスの学者たちが がんばって「書いた」 キングジェームス!)

 

新約聖書はギリシア語しかないと書いてあるところもあるけど、ヘブライも「ある」と知っている人もいる

 

4つのうち「3つ」はヘブライも「ある」!

 

だから
「英語」に「翻訳された」聖書は
キリスト教は
三位一体なのだな

ジーザスが 翻訳として「神」
肉 
ギリシア哲学 
ギリシアの言語があらわれている
英語の「王」「勅令」で翻訳された決定版のキングジェームス!

ギリシア哲学が入ってる
三位一体!
ジーザス=神!(翻訳! 英語!! ギリシア語から!)

 

一神教との違い!

ヘブライで旧約聖書創世記を読んでいたなら、ヘブライで1:1書くのでは?
ロゴスは「ギリシア哲学」
言葉! 哲学
そして多神教的!


キングジェームスの時代に
ギリシア語パピルス写本2世紀(一部欠けてる)と
ラテン語(元はヘブライとギリシア語)はマソラから英語に翻訳した「決定版」の「英語翻訳」!

聖書の活字による最初の印刷は1456年ごろのラテン語聖書の印刷で、聖書の普及に大きな役割を果たすことになった

 

ラテン語か、、、
そして「布教と奴隷貿易」(羅針盤もね!)
三大発明と聖書(奴隷貿易!「支配」「植民地」、、、大英帝国pt.2がいまだに奴隷貿易pt.2やってる理由は「歴史」にもみえてくる)

 

宣教活動に伴うもの
欧米列強がアジア・アフリカを植民地化していく帝国主義の動き

奴隷貿易と布教
その聖書はキングジェームス!

 

ギリシア語「写本 一部ない」から「学者たちが書いた」英語翻訳というもの
、、、(しかもそれまでの「バビロン捕囚とか「歴史上」のいろいろあって!corrupted もaltered もあったらしい)


70人訳の「歴史」

理解できなくなった
ヘブライ

だから
「ギリシア語」
なのか、、、

正典(カノン)という
ギリシア語
尺度・規準という意味

ヘブライ語ではカーネーとなり、葦の茎のこと

旧約時代の人々はまっすぐな葦の茎を竿尺として用いたので、「測り竿」の意味にも使われる「尺度」「規準」という意味が出てくる

まっすぐな葦の茎を竿尺として用いた場所で!
その言語で書かれた旧約聖書というもの
言葉と場所 そして聖書

バベル!
(言語をわける 場所をわけた神
人の「傲慢さ」)

聖書がキリスト教のカノンであるとは、聖書はキリスト教の信仰内容を正しく理解し伝えるための規準

、、、(基準に虚偽、、、あったり
欠けた部分「誰かが書いた」部分あったりするのが キリスト教の新約聖書?、、、十字架 磔刑 贖罪 会計 罪が許される「付け加えられた」2世紀の虚偽!を必要とした「ヒト」

人は誰だ? ヨハネでは?(、、、2世紀のパピルス写本のヨハネ!)


ヨハネが書いたとすると
でも
「ヘブライ」では「xxxx」みたいな記述が「ある」ヶ所もあるの?


元のヘブライの「意味」を伝える「それぞれの言語」を「自分」で探すこと! 電脳空間(サイバースペース)時代の聖書の読み方!

LOGOS?
言葉?
そのヘブライは
DA BAR
その「意味」!


ヨハネは
イスラエル出身だったら
そこの「言語」で書いた聖書?
アラム語で話すイエス
アラム語を聞くヨハネ
それを「ギリシア語で話す場所」で
元の言語ヘブライで読んでいた旧約聖書!創世記をヘブライで読んで書いた1:1は、、、ヘブライで旧約聖書読んで「ヘブライで新約聖書書くヨハネ」だったのでは?

古代ギリシア語話す場所、エフェソスで?


われわれに伝えられた聖書の本文はすべて写本による
聖書の原本というものは存在していない


ほんとうに?
場所によるのでは?
ムハンマドさんがシリア語で聖書を「読んだ場所」そこにあったもの

 

キリスト教の原罪を癒す
(キリスト教の生まれ! イエスの嘘! イーサーではない 多神教はギリシア哲学的! LOGOS! このギリシア語とギリシア哲学!)
そして
イスラムの受難を癒すrelaxmax

言葉で癒すということ!

キリスト教が「生まれもって」宗教として「罪深い」部分を癒す
十字架破壊
偶像破壊
(ヘブライで人々は「もっと」!聖書を読もうとする! 電脳空間(サイバースペース)の辞書の現代において!)

それぞれの中で
偶像が破壊されていく
ヘブライという「言葉」

旧約聖書全書のヘブライ語写本で現存しているものは紀元10世紀以前のものはない
断片的なものでは1世紀に属する儀式に用いられたと思われる「十戒」と申命記6:4以下の古写本が19世紀末にカイロで発見されている
1947年にいわゆる「死海写本」が発見されて、紀元前1世紀から紀元1世紀に属するヘブライ語聖書写本を手にすることができた

「写本」
しかほんとにないの??
ヨハネ1:1も?(ギリシア語 パピルス写本 2世紀)

では 新約聖書 ヨハネ「も」!
「ヘブライ」が もしあって

遣隋使の時代(厩戸の皇子の時代に!)
ヘブライの聖書が日本に
シルクロードを通して伝わっていたとして

そのヘブライ
の意味を知る
本居宣長が
「あの翻訳、古事記を現代語(その当時の!注釈書」書いたとしたら?

日本に(鞍馬 牛若丸!)アラム語が伝わっているのは
「聖書のカタチ」ではないか?

そして
2世紀のパピルス写本は
許されたかった「ヨハネ」が書いた虚偽を付け加えたストーリー

イエス 磔刑 贖罪 ユダ 会計 
その「罪が許されるストーリー」を付け加えた2世紀のパピルス写本(ギリシア語!)

ヨハネ本人が書いた
ヘブライが「もし」あるとすれば

2世紀のパピルス写本
ギリシア語
の時に
「キリスト教の 贖罪 磔刑 十字架 会計 許されたかった 人が付け加えた」ストーリーなのかも!

ギリシア語で書かれた
LOGOS という言葉
1:1ヨハネはギリシア哲学ぽい!
三位一体 キリスト教っぽい「哲学 考え方」が ギリシア語という言語とギリシア哲学にあらわれている

言語と宗教
イスラム教と(アラム語 ヘブライ シリア 一神教)

キリスト教( ギリシア語 ローマ帝国 そしてギリシア哲学 三位一体 多神教)

神さま=イエス
ってそんなに思わないなー
ロゴスがジーザス? 英語の「翻訳」!
神の子イエス というのはわかるんだけど、、、「お話し」東方の三賢者とか、、、(イーサーの話とは別のお話し!)


ヘブライ人によって書かれ、ヘブライ的な宗教や伝統習慣が背景になっている新約聖書は、ヘブライ的観点によってのみ正しく 理解できる

こう書いている人の本、私はまだ読んではいないけれど!

知りたいことはわかった!
ヘブライ「3つはある」!

このヨハネ、、、あるの?
(共観福音書4つのうち3つはあると ここでは書いていた)


著者のD・ビヴィンは、共観福音書のためのエルサレム学派の研究成果を発表する「エルサレム・パースペクティヴ」誌の編集・発行人

イエスは
アラム語ではなく
ヘブライで話していた「説」の本

(、、、たしかに ロゴス より ヘブライの方が より なるほど!
と思ってたけど)


ギリシア語の写本、それより古い ヨハネ本人が「何語? ヘブライ? イエスはアラム語で話していたけど??」書いた本は見つけてないだけ?

 

「写本時代」にヨハネ(ということ 有名人の 名前) で
ギリシア哲学的な考え方を入れた
新約聖書 ヨハネ 書いた?
(そして十字架のストーリーも「それまでないのに付け加えた」虚偽の、、、そういうパピルス写本 2世紀 ギリシア語!)

 

どうして!
写本の「元」
見つけてないのかな?

(、、、マルコは大英帝国pt.2が図書館にヘブライ持っている)

では

ヨハネのヘブライは「日本」にシルクロードを通して!伝わっていたなら「もし」!

(アラム語は日本に伝わっている! 言語だけが伝わるかな? 聖書のカタチで言葉は伝わったのでは? そして!本居宣長の「あの言葉、古事記の注釈書」ヘブライぽい! 聖書ヘブライの存在を「日本」に感じる言葉!)

 

単なる小説 満月78 海がない da bar ヘブライで「言葉」と「出来事」

 

へブ ラ イ 語 で 「言 葉 」 を あ ら わ す 代 表 的 な 単 語

ダ バ ル (da bar )


ダバルは
言葉と出来事の両方の意味を表現する

 

なるほどな

だって!
言葉があって
出来事がある

 

最初に言葉があった
(そして 創世記では、、、出来事が起こる)


ヘブライで書かれた
旧約聖書

 

なるほど!

だからかもな

「海」がないの

 

言葉 と事は切り離すことができない

「できごと」の意味を合わせ持つ「ことば」

 

言葉と

切り離されて長い
(嘘 偽 増えた)

 

言葉と事
なるべく一致させるように!
人類 すべて!

本当の言葉で話すこと!



神はまた言われた、「水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ

神は「また」言われた

 

言葉があるのに
事がおこらない理由がわかった
relaxmax

 

偽多いからだ、、、
人のなかに
人の言葉の中に!

事がおこらない
「言葉」はあるのに

 

言葉と

切り離されて長い
(切り離すのは偽、そして嘘の言葉
ほんとの「事」から切り離された言葉(すでに本来の力がない言葉)



「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」

だけど、、、
海には生き物が戻らない
壊されたDNA

 

 

単なる小説 満月25-1 ギリシア語の「前」の言語 言語と哲学

パピルス写本
125年頃の写本である
ヨハネ福音書の「一部」が、、、

 

パピルス写本

 

奴隷貿易の時代あたりかな?

キングが「勅令」で

「いい翻訳」の聖書を、、、

 

元は

ギリシャ語の、、、

 

-

神は「また」言われた

「水は生き物の群れで満ち、、、」

神と言葉

神はまた言われた、「水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ」

 

ジョン?

ヨハネ?

 

英語ではなく「翻訳前のギリシア語」で読んでみるrelaxmax

 

 


Bereshit (‘In the beginning’)

マソラ本文(マソラほんぶん、ほんもん、英: Masoretic Text)とは、ユダヤ教社会に伝承されてきたヘブライ語聖書(旧約聖書)のテキスト
ヘブライ語のマソラ(ヘブライ語: מסורה‎)とは

伝統の伝達のことを示す語

 

 


“The Word,” a translation of the Greek λόγος (logos), is widely interpreted as referring to Jesus,

これが
Jesus
なの?

ロゴス 言葉は哲学

ギリシャ語

言語と哲学と「脳」

 

聖霊の示顕

言(ことば)は神なりき

 

ことばは神かみと偕ともにあり(き)、

註解: 原語にて

神と偕には

プロス、トン、テオン

pros ton Theon

 

別個の個性格(ペルソナ)

 

ペルソナ!
自身
そして
the same

そういう
言語と「哲学」
そして宗教

ってことなのかも!

ロゴスは無限の始めより

神との間

愛の交わりにおいて存在し給うた

 

「間」の愛

 

愛そのものの光、神

 

-

ゆえに彼はイエス・キリストにおいて旧約聖書の「神の言葉」の受肉、化身を見、また同時に人間の思想に表れし真理の片鱗予兆の完成を見たのである。

 

だから
イエス キリストを「神」って考えるのかもな
多神教の キリスト教

 

(、、、どっちかっていうと
人の子イエスは人とも思う
イーサーは常人
そう思うrelaxmaxであった)

 

ギリシア哲学
ギリシア語

だから「ヨハネ」は
新約聖書は
「あのかんじ」!

なのかもな!

 

第一ヨハネ書簡  250年→ 110年
第二ヨハネ書簡  350年→ 130-140年
第三ヨハネ書簡  350年→ 210-250年
ヨハネ黙示録  150年

以上が、各書簡ごとに遡れる成立年代の下限

ヨハネ福音書 125年

使徒行伝 250年→ 180年

2世紀か、、、
(十字架 磔刑 贖罪
付け加えられたストーリー
イエス

ということは
「一部」
に「なにかを誰かが」
パピルスは「一部」

だから
付け加えられたのかも、、、

 

ܒ݁ܪܺܫܺܝܬ݂ ܐܺܝܬ݂ܰܘܗ݈ܝ ܗ݈ܘܳܐ ܡܶܠܬ݂ܳܐ ܘܗܽܘ ܡܶܠܬ݂ܳܐ ܐܺܝܬ݂ܰܘܗ݈ܝ ܗ݈ܘܳܐ ܠܘܳܬ݂ ܐܰܠܳܗܳܐ ܘܰܐܠܳܗܳܐ ܐܺܝܬ݂ܰܘܗ݈ܝ ܗ݈ܘܳܐ ܗܽܘ ܡܶܠܬ݂ܳܐ ܀


Archē (Ancient Greek: ἀρχή) is the original word used in John 1:1.

The King James Version of Genesis 1:1 is translated as “In the beginning God created the heaven and the Earth.” The King James Version of John 1:1 is translated as “In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.”


John.1

[1] In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.
[2] The same was in the beginning with God.
[3] All things were made by him; and without him was not any thing made that was made.
[4] In him was life; and the life was the light of men.
[5] And the light shineth in darkness; and the darkness comprehended it not.
[6] There was a man sent from God, whose name was John.
[7] The same came for a witness, to bear witness of the Light, that all men through him might believe.
[8] He was not that Light, but was sent to bear witness of that Light.
[9] That was the true Light, which lighteth every man that cometh into the world.
[10] He was in the world, and the world was made by him, and the world knew him not.
[11] He came unto his own, and his own received him not.
[12] But as many as received him, to them gave he power to become the sons of God, even to them that believe on his name:
[13] Which were born, not of blood, nor of the will of the flesh, nor of the will of man, but of God.
[14] And the Word was made flesh, and dwelt among us, (and we beheld his glory, the glory as of the only begotten of the Father,) full of grace and truth.
[15] John bare witness of him, and cried, saying, This was he of whom I spake, He that cometh after me is preferred before me: for he was before me.
[16] And of his fulness have all we received, and grace for grace.
[17] For the law was given by Moses, but grace and truth came by Jesus Christ.
[18] No man hath seen God at any time; the only begotten Son, which is in the bosom of the Father, he hath declared him.
[19] And this is the record of John, when the Jews sent priests and Levites from Jerusalem to ask him, Who art thou?
[20] And he confessed, and denied not; but confessed, I am not the Christ.
[21] And they asked him, What then? Art thou Elias? And he saith, I am not. Art thou that prophet? And he answered, No.
[22] Then said they unto him, Who art thou? that we may give an answer to them that sent us. What sayest thou of thyself?
[23] He said, I am the voice of one crying in the wilderness, Make straight the way of the Lord, as said the prophet Esaias.
[24] And they which were sent were of the Pharisees.
[25] And they asked him, and said unto him, Why baptizest thou then, if thou be not that Christ, nor Elias, neither that prophet?
[26] John answered them, saying, I baptize with water: but there standeth one among you, whom ye know not;
[27] He it is, who coming after me is preferred before me, whose shoe’s latchet I am not worthy to unloose.
[28] These things were done in Bethabara beyond Jordan, where John was baptizing.
[29] The next day John seeth Jesus coming unto him, and saith, Behold the Lamb of God, which taketh away the sin of the world.
[30] This is he of whom I said, After me cometh a man which is preferred before me: for he was before me.
[31] And I knew him not: but that he should be made manifest to Israel, therefore am I come baptizing with water.
[32] And John bare record, saying, I saw the Spirit descending from heaven like a dove, and it abode upon him.
[33] And I knew him not: but he that sent me to baptize with water, the same said unto me, Upon whom thou shalt see the Spirit descending, and remaining on him, the same is he which baptizeth with the Holy Ghost.
[34] And I saw, and bare record that this is the Son of God.
[35] Again the next day after John stood, and two of his disciples;
[36] And looking upon Jesus as he walked, he saith, Behold the Lamb of God!
[37] And the two disciples heard him speak, and they followed Jesus.
[38] Then Jesus turned, and saw them following, and saith unto them, What seek ye? They said unto him, Rabbi, (which is to say, being interpreted, Master,) where dwellest thou?
[39] He saith unto them, Come and see. They came and saw where he dwelt, and abode with him that day: for it was about the tenth hour.
[40] One of the two which heard John speak, and followed him, was Andrew, Simon Peter’s brother.
[41] He first findeth his own brother Simon, and saith unto him, We have found the Messias, which is, being interpreted, the Christ.
[42] And he brought him to Jesus. And when Jesus beheld him, he said, Thou art Simon the son of Jona: thou shalt be called Cephas, which is by interpretation, A stone.
[43] The day following Jesus would go forth into Galilee, and findeth Philip, and saith unto him, Follow me.
[44] Now Philip was of Bethsaida, the city of Andrew and Peter.
[45] Philip findeth Nathanael, and saith unto him, We have found him, of whom Moses in the law, and the prophets, did write, Jesus of Nazareth, the son of Joseph.
[46] And Nathanael said unto him, Can there any good thing come out of Nazareth? Philip saith unto him, Come and see.
[47] Jesus saw Nathanael coming to him, and saith of him, Behold an Israelite indeed, in whom is no guile!
[48] Nathanael saith unto him, Whence knowest thou me? Jesus answered and said unto him, Before that Philip called thee, when thou wast under the fig tree, I saw thee.
[49] Nathanael answered and saith unto him, Rabbi, thou art the Son of God; thou art the King of Israel.
[50] Jesus answered and said unto him, Because I said unto thee, I saw thee under the fig tree, believest thou? thou shalt see greater things than these.
[51] And he saith unto him, Verily, verily, I say unto you, Hereafter ye shall see heaven open, and the angels of God ascending and descending upon the Son of man.

 

30-1-2 聖なるパイプ

しかし慣れない地でのトウモロコシ栽培はうまくいかず、スミスは周辺を船でうろつき、沿岸のインディアン部族を武力で強迫し、食料を略奪して回った。

 

 

スミスと略奪

スミスは怖いなー

よくしてもらったのに、、、

インディアンの考えでは
土地は住む人々すべての共有財産
単に土地を使用する権利

 

みんなのものなのに!
「白人」の考え方
違いすぎるぐらい違う
「土地」「掠奪」

、、、でも!
100エーカーあげちゃったの?

これは地主であるインディアンたちの全く知らないことである

 

(、、、やっぱ怖いのかな
white male
イギリス人
(へんけん?)
いい人もいるよね きっと

スミスさんは
怖かったな)

 

投資 利益
植民地 入植


白人たちはまず「酋長(白人には大指導者に見えている)を屈服させればすべての部族民はこれに従う」と考え、酋長に対する懐柔、脅迫、交渉を始めた

懐柔
脅迫!
交渉

 

「白人」
の考え方か。。。

 

誤解したまま
以後の植民地侵略行為

屈服
「侵略」

銃の威力をもって威圧

「支配」
植民地「支配」
「威圧」

白人のスミスさん
怖いな

植民地支配と「銃」
三大発明
「羅針盤」でインドと間違ってインディアンのいる「新大陸」に

 

ハンバーガー国植民地
建設計画を宣言
エリザベス1世
から与えらた「土地」

(、、、でも誰のものでもないのに)

 

「土地」

未婚の女王エリザベス1世にちなんでバージニアと命名

植民「事業」、投資、利益
「商人」

 

そして銃と掠奪

 

大英帝国pt.1からは17世紀はじめごろ
「スミス」さんが

(、、、よくしてくれたのにインディアン)

 

いきなり発砲
「暴力」行為
「存在を知らしめる」ための「銃」
銃とインディアン

(インディアンよくしてくれたのに、、、)

 

ポウハタン族
「すべてを分け合う」というインディアンの理念
飢えた「白人」侵略者たちに食料や水を与え、彼らを援助
(よくしてくれるインディアン)

 

それなのに「スミス」さんは、、、
武力
脅迫
略奪
虐殺を繰り返し

植民「請負人」
実権を握る(権力か、、、)

 

「白人」入植者たちはインディアンから恵んでもらった

トウモロコシ穀物栽培

しかし慣れない地でのトウモロコシ栽培はうまくいかず、スミスは周辺を船でうろつき、沿岸のインディアン部族を武力で強迫し、食料を略奪

(よくしてもらったのに、、、
「白人」の「スミス」さん怖いな、、、
まるで relaxmaxからみた ロブ・スミス みたいに、、、怖い人)

 

インディアンを蔑視

露わ
「裸の野蛮人(naked savage)」

スミスさん怖いなー
「、、、考え方」
「白人」のスミスさんか

(インディアンよくしてくれたのに)
(助けてくれてたのに)

 


1619年
ジェームズタウンで開催された第1回目のアメリカで最初に開かれた議会
1619年の改革

疫病や飢餓に打ち勝つことはまれ

1618年から1622年に渡来した入植者の4人に3人は、1年以上生き残ることができなかった

白人の人口推移 白人の人口
1607 104
1618 1,000
1622 1,275
1680 44,000
1700 58,000
1720 88,000
1770 463,000

増えたんだ
white
(、、、で インディアンは?

入植者らはインディアンからトウモロコシの栽培法を学び飢えを凌いだ

(インディアンにけっこう助けてもらってるのに

虐殺しながら
産めよ 増えよ
(、、、あれ? 人口削減計画も コレに近い?)

指導者ジョン・スミスは
入植者に軍事訓練を行い

、、、
指導者が怖かったのかな、スミスさん怖いな

 

このスミス
って
奴隷貿易で有名なあの街、
影の街 ブリストル のロブ・スミス
と同じ「スミス」!
(まさか! 祖先??)

 

大英帝国pt.2のエージェントスミスは、、、「前世」も奴隷貿易やっていたらしいが

 

 


インディアンの宇宙観

「大いなる神秘」は天上に在り、彼らはあらゆる儀式でタバコの葉を「大いなる神秘」への神聖な捧げものとする

 

決めごと
物事の節目
パイプ

天上の「大いなる神秘」とパイプを通じて誓いを立てる

 

このときに交わした約束を破ることは絶対に許されないこと

インディアンたちにとってのパイプ
白人
にとっての聖書
三大発明の「印刷」で聖書は、、、布教は、、、「支配」は行われていたのか?


植民地「支配」

「銃」で「存在を知らしめる(!暴力)
「羅針盤」でインドと思ってたどり着いたから?「インディアン」??
「印刷」された、写本より8倍速い!聖書で「布教」
宗教とコントロール「支配」

インディアンのメディスンマン(呪い師)は必ずパイプを携行している

パイプは異部族間のパスポート
それ自身が和平のしるし

 


植民地におけるタバコ栽培と商品化
「白人」「植民地」「商品化」

インディアンとずいぶん違うな。。。

「経済を発展させるため」
「容易で確実に利益を上げる」そんなタバコ

 

神聖なものなのに!
インディアンの!

 

単なる小説 満月77 In the beginning was the Word, and the Word was with God,and the Word was God.The same was in the beginning with God. All things were made by him; and without him was not any thing made that was made. In him was life; and the life was the light of men.

 

あの海

In the beginning was the Word, and the Word was with God,and the Word was God.The same was in the beginning with God. All things were made by him; and without him was not any thing made that was made. In him was life; and the life was the light of men.

 

「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」

 

だけど、、、
海には生き物が戻らない
壊されたDNA

神はまた言われた、「水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ」


言われたのに、、、
「まだ」
戻らない水、safe return するライシン
生き物の影がない「地球のまこと」

それを、、、
どうして全人類は知らないのだ?

 

神は「また」言われた

「水は生き物の群れで満ち、、、」


神の言葉は「ある」のに、、、

水、海が、、、
そして生き物の影さえない、、、


はじめに言葉があった

In the beginning was the Word,


「書く」relaxmax


 

and the Word was with God,

言葉は神とともにあった


 

and the Word was God.


神は言葉であった

relaxmaxは知る
神の言葉を書くものと

(知っていたではないか?
恐れていたではないか?
本当のことを書くことを)

 

 

The same was in the beginning with God.

神と始める「はじめ」もまた同じであった

「はじめ」=創世

自分自身が、言葉の中の真実

自身が「言葉そのもの」

 

 

All things were made by him
神の視点を少しみる

すべて=all things が
彼からくる「この世界」

例えば
createrは
小説「世界」においては

「書く人=言葉を書く小説家=神」
ともいえる(一般論として!)

 

and without him was not any thing made that was made.

彼なしには
なにも創造することは出来ない

神と「言葉」

言葉というもの!


 

In him was life; and the life was the light of men.

彼のなかに「生命」が!

そうして
命とは人の光

 

 

英語で読んでみたけど
「元の言語を探そう」としている「最中」(ギリシャ語より「前」、、、ヘブライ?シリア語は発見したけど、、、

 

新約聖書、ヨハネ

 

ギリシア語は
the same とhimself(日本語は自身)
が同じ「言葉」のあの部分があるという

 

英語の聖書
ジョン
おそらく(、、、奴隷貿易の時代? アメリカに伝わった聖書は、、、最初はあの大陸はスペイン語! 元は ラテン語? その前は、、、「ヘブライ」まで辿れるの? ともかく)

 

欽定訳(King James のニホンゴ語)
ハンバーガー国では、King James Version
大英帝国pt.1 でもっとも有名な英語聖書、Authorized Versionとも呼ばれる


スチュアート朝のジェームズ一世の勅令によりなされた翻訳

「王」の「勅令」
ジェームズ一世がオックスフォードとケンブリッジの54人の「学者」
1604年から開始し1611年に完成した翻訳

「英語」に「翻訳」された「聖書」
「王」の「勅令」
聖書とはそういうもの
17世紀(、、、奴隷貿易の時代! その聖書がハンバーガー国に伝わった)

 

翻訳
ラテン語訳のウルガタのようにも
場合によっては英語訳のKJVのようにも読める場合が発生することもあるという

「翻訳」というものと「聖書」


ギリシア語
辞書をひいてみる

ουτος はじめ

ην の

εν で

αρχη 原理

προς に

τον 彼

θεον


The Wordとしてもよいと思えるがなぜThe sameであるか

ギリシア語聖書で
the sameは「αὐτός」という代名詞

この言葉は上記の定義にあるように自分自身や第三者を指すときにも使われる
同じものや同じことを強調するときにも使われる

言葉そのもの
真実そのもののrelaxmax

 


神と同じように
真実の言葉で話すよう
全人類が「心がける」ように!

本当の言葉
パワーを持つ言葉!

神と言葉

神はまた言われた、「水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ」

 


Bereshit (‘In the beginning’)

マソラ本文(マソラほんぶん、ほんもん、英: Masoretic Text)とは、ユダヤ教社会に伝承されてきたヘブライ語聖書(旧約聖書)のテキスト
ヘブライ語のマソラ(ヘブライ語: מסורה‎)とは伝統の伝達のことを示す語

 

 


“The Word,” a translation of the Greek λόγος (logos), is widely interpreted as referring to Jesus,

これが
Jesus
なの?

 

ロゴス 言葉は哲学

ギリシャ語

言語と哲学と「脳」

 

聖霊の示顕

言(ことば)は神なりき

 

無限の始め

神との間

「間」の愛

 

愛そのものの光、神

 

ܒ݁ܪܺܫܺܝܬ݂ ܐܺܝܬ݂ܰܘܗ݈ܝ ܗ݈ܘܳܐ ܡܶܠܬ݂ܳܐ ܘܗܽܘ ܡܶܠܬ݂ܳܐ ܐܺܝܬ݂ܰܘܗ݈ܝ ܗ݈ܘܳܐ ܠܘܳܬ݂ ܐܰܠܳܗܳܐ ܘܰܐܠܳܗܳܐ ܐܺܝܬ݂ܰܘܗ݈ܝ ܗ݈ܘܳܐ ܗܽܘ ܡܶܠܬ݂ܳܐ ܀


Archē (Ancient Greek: ἀρχή) is the original word used in John 1:1.

The King James Version of Genesis 1:1 is translated as “In the beginning God created the heaven and the Earth.” The King James Version of John 1:1 is translated as “In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.”


John.1

[1] In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.
[2] The same was in the beginning with God.
[3] All things were made by him; and without him was not any thing made that was made.
[4] In him was life; and the life was the light of men.
[5] And the light shineth in darkness; and the darkness comprehended it not.
[6] There was a man sent from God, whose name was John.
[7] The same came for a witness, to bear witness of the Light, that all men through him might believe.
[8] He was not that Light, but was sent to bear witness of that Light.
[9] That was the true Light, which lighteth every man that cometh into the world.
[10] He was in the world, and the world was made by him, and the world knew him not.
[11] He came unto his own, and his own received him not.
[12] But as many as received him, to them gave he power to become the sons of God, even to them that believe on his name:
[13] Which were born, not of blood, nor of the will of the flesh, nor of the will of man, but of God.
[14] And the Word was made flesh, and dwelt among us, (and we beheld his glory, the glory as of the only begotten of the Father,) full of grace and truth.
[15] John bare witness of him, and cried, saying, This was he of whom I spake, He that cometh after me is preferred before me: for he was before me.
[16] And of his fulness have all we received, and grace for grace.
[17] For the law was given by Moses, but grace and truth came by Jesus Christ.
[18] No man hath seen God at any time; the only begotten Son, which is in the bosom of the Father, he hath declared him.
[19] And this is the record of John, when the Jews sent priests and Levites from Jerusalem to ask him, Who art thou?
[20] And he confessed, and denied not; but confessed, I am not the Christ.
[21] And they asked him, What then? Art thou Elias? And he saith, I am not. Art thou that prophet? And he answered, No.
[22] Then said they unto him, Who art thou? that we may give an answer to them that sent us. What sayest thou of thyself?
[23] He said, I am the voice of one crying in the wilderness, Make straight the way of the Lord, as said the prophet Esaias.
[24] And they which were sent were of the Pharisees.
[25] And they asked him, and said unto him, Why baptizest thou then, if thou be not that Christ, nor Elias, neither that prophet?
[26] John answered them, saying, I baptize with water: but there standeth one among you, whom ye know not;
[27] He it is, who coming after me is preferred before me, whose shoe’s latchet I am not worthy to unloose.
[28] These things were done in Bethabara beyond Jordan, where John was baptizing.
[29] The next day John seeth Jesus coming unto him, and saith, Behold the Lamb of God, which taketh away the sin of the world.
[30] This is he of whom I said, After me cometh a man which is preferred before me: for he was before me.
[31] And I knew him not: but that he should be made manifest to Israel, therefore am I come baptizing with water.
[32] And John bare record, saying, I saw the Spirit descending from heaven like a dove, and it abode upon him.
[33] And I knew him not: but he that sent me to baptize with water, the same said unto me, Upon whom thou shalt see the Spirit descending, and remaining on him, the same is he which baptizeth with the Holy Ghost.
[34] And I saw, and bare record that this is the Son of God.
[35] Again the next day after John stood, and two of his disciples;
[36] And looking upon Jesus as he walked, he saith, Behold the Lamb of God!
[37] And the two disciples heard him speak, and they followed Jesus.
[38] Then Jesus turned, and saw them following, and saith unto them, What seek ye? They said unto him, Rabbi, (which is to say, being interpreted, Master,) where dwellest thou?
[39] He saith unto them, Come and see. They came and saw where he dwelt, and abode with him that day: for it was about the tenth hour.
[40] One of the two which heard John speak, and followed him, was Andrew, Simon Peter’s brother.
[41] He first findeth his own brother Simon, and saith unto him, We have found the Messias, which is, being interpreted, the Christ.
[42] And he brought him to Jesus. And when Jesus beheld him, he said, Thou art Simon the son of Jona: thou shalt be called Cephas, which is by interpretation, A stone.
[43] The day following Jesus would go forth into Galilee, and findeth Philip, and saith unto him, Follow me.
[44] Now Philip was of Bethsaida, the city of Andrew and Peter.
[45] Philip findeth Nathanael, and saith unto him, We have found him, of whom Moses in the law, and the prophets, did write, Jesus of Nazareth, the son of Joseph.
[46] And Nathanael said unto him, Can there any good thing come out of Nazareth? Philip saith unto him, Come and see.
[47] Jesus saw Nathanael coming to him, and saith of him, Behold an Israelite indeed, in whom is no guile!
[48] Nathanael saith unto him, Whence knowest thou me? Jesus answered and said unto him, Before that Philip called thee, when thou wast under the fig tree, I saw thee.
[49] Nathanael answered and saith unto him, Rabbi, thou art the Son of God; thou art the King of Israel.
[50] Jesus answered and said unto him, Because I said unto thee, I saw thee under the fig tree, believest thou? thou shalt see greater things than these.
[51] And he saith unto him, Verily, verily, I say unto you, Hereafter ye shall see heaven open, and the angels of God ascending and descending upon the Son of man.