(Japanese only, if you want to read in English pls use auto translate pls:)!)
うちの母の時代は母子家庭には
こども18歳まで医療費無料(20?どっち?歯医者とか行っておいた方が(やすい)いいよみたいな!)
感じだった。
うちの母の時代には、母子家庭は保育料どうだったんだろ?
(実は知らないけど、無料ではなかったのかも。優先はしてもらえた?空いていたのかな?)それで私が5歳の時にやっと保育所に妹と私をあずけることできて、母子家庭になった母は仕事しに行っていた。(お迎えが遅くて、最後まで残っていて、私が寂しくて泣いていたというか、、、そういうの少し覚えている。)
どうだったんだろ?
うちの母の時代には、母子家庭は給食費(ココも実はしらない)どうだった?
ただ私学に通っていて(中学校から)違うところに行ったけど、
地元の中学は
給食費無料
だった、、、
なぜかというと
地元の中学は
「同和」
同和解放(こういう言葉、そういう「地域」に近い、、、から覚える?)
同和とは、、、
えたひにん
とか、、、
江戸時代の士農工商それより低い「身分」の! えたひにん
(漢字の変換出なかった、、、ググってみてね)
小学校の「校区」は同和とは違う
でも中学になると
いくつかの小学校の「校区」
が集まって
中学校の「校区」
、、、それで
同和の地域が小学校「校区」の別の小学校も!同じ地元の中学に!通うから、、、
それが理由で「給食費タダ!」
だったのを覚えている。(なんでなんだろ?)
私は中学は私学だったので(地元の給食費がタダの、同和の校区の「別の小学校」と一緒の中学、、、ではなかった)
中学生ながら思ったのは
なんでなんだろ?(だって、逆に差別というか、、、え、他の中学は無料じゃないんだ、、、って。)
ただ、私は私学に行っていた。中学生ぐらいの頃は、、、
母のお仕事順調な時期で母子家庭でも!子供を私学に通わせる「お金」がある時期だった。(その後バブルがはじけてとても大変だったよう、、、私も就職氷河期、私じゃないけど大卒で就職がなかった高校時代の同級生とかいたな。。。)
えたひにんインドのカーストじゃないけど、江戸時代の身分制度の(さらに「下」!)
そういう「エリア」が
自分の宇山のおじいちゃん家(第二次世界大戦、徴兵、満州8年引き揚げで大阪で結婚)の、、、
道路を渡って「すぐ」
ぐらいの「近さ」にあった。。。
そういう「差別」について、こどもの頃小学校の「道徳」の時間に習ったな。
あとふつうより安いお風呂やさんが
「部落」のエリアにはあったのを覚えている。
同和って書いたけど
部落
かも。
部落解放
の方が日本語あっている?
部落の地域(えたひにん)が住んでいたエリア。
江戸時代の身分制度「士農工商」の
「さらに下!!!」
もしかしたら地元の中学があるエリアが「部落」だったのかも。(私は私学に行って別の中学に通った。)
「部落のエリアにある中学は給食費無料」
そういうことだったのかも。(、、、道を挟んで、道路を渡ると「部落」のエリア!にあった宇山のおじいちゃんの家(母が離婚後しばらく戻ったみたい)
、、、だから思ったんじゃないかな?(こどもごころに、中学ぐらいの頃に、「え、そこの中学「(部落のエリア)だけ!」給食費無料だったら、、、逆に差別じゃないの?(、、、だって、「あそこの中学は部落だから給食費無料だぞ」って思われそう?)
、、、
そう!
前にも思ったけど
うちの母の時代には
「母子家庭は(男性より稼ぎが少ない女性は多い?ペイギャップ。)給食費無料」
だったのに
すべての家庭無料(共働きでダブルインカムでも!)
にしないといけないぐらい
子育てお金かかるし国として大変なんじゃないかな?
(だから母子家庭にはさらなるサポートなにかないの?)
だって老後も「2人揃った親」よりは(男性の方が稼げる社会、老人にどのぐらい仕事ある?)「母ひとり」の方が経済的にとても大変そうだった、、、(特に母の心臓の病気の「後」!だって、両親そろっていたら、母が病気(心臓 1年働けなかった。母が自宅療養!、、、お父さんいる家庭だったら、ダブルインカムで2人収入ある家庭で、片方だけの収入になったとしても、、、まだ「父(男性)」が母をサポート出来るんじゃないかな?(こども(妹と2人で!)で母をサポートしていた宇山家!シングルマム! ロブさん、スレイブワークを私にさせてはダメ!家族が病気、私relaxmaxにお金の不安のある時に、、、!泣)
えたひにん
ひとにあらず 非人 てこと泣?部落の地域の学校は給食タダだった。(あとお風呂も他より安い100円の銭湯があった。)